見えない課題を掴む「直接対話」

2006年は、ビール類市場のシェアで、アサヒビールに0.2ポイント差まで肉薄した。しかし、私が社長に就任した2001年は、キリンビールがアサヒにシェアの逆転を許す厳しい年だった。年明けからずっとアサヒに追い上げられていた。打つ手、打つ手も一時的な効果のみで長続きせず、結果もついてこなかった。社長就任は、いわば逆風の船出となった。

私はビール会社社員でありながら、ほとんどビールに携わっていない。小岩井乳業や医薬事業などを経験してきたが、未経験の分野にチャレンジするわけで、誰とでも“ダイレクトコミュニケーション”をしようと考えた。医薬事業にはキリン社員だけでなく、製薬会社からの転職組もいたので、それぞれ違うバックグラウンドを持っている。そこで「これをやりたいんだ!」という基本を示して、それをベースに何度もディスカッションを繰り返した。

<strong>キリンビール会長 荒蒔康一郎</strong><br>1939年生まれ。64年東大農学部卒。キリンビール入社。79年小岩井乳業出向。94年キリンビール取締役、97年常務、医薬品事業本部長。専務、医薬カンパニー社長を経て、2001年3月社長就任。06年会長就任。
キリンビール会長 荒蒔康一郎
1939年生まれ。64年東大農学部卒。キリンビール入社。79年小岩井乳業出向。94年キリンビール取締役、97年常務、医薬品事業本部長。専務、医薬カンパニー社長を経て、2001年3月社長就任。06年会長就任。

そうした経験で確信したのは、情報というのは印刷されたり、デジタル化された資料だけでは、絶対に問題は掴めないということ。わからないことがあると、とにかく毎日、現場に張り付いた。「ここのところはしっかり見たいな」という部門は、朝から晩までそこに行って観察した。すると不思議とそこに潜んでいる課題が徐々に掴めるようになってくる。

社長就任直後は、何よりもまず社員との直接対話を心がけた。社長就任を打診されたとき、キリンはすでに苦境に陥っていた。そこから回復を図るためには、どこに問題があるのかを掴む必要がある。4~6月は取引先への挨拶回りをするかたわら、地方の支社や工場にもこまめに足を運んだ。

工場では食堂に全員を集めて、「皆さん、会社が大変なときだ。私も頑張るから、よろしく」といった訓辞をするのが一般的だろうが、それでは何も伝わらないし、反応もわからない。私の場合は、10~15人のグループをいくつかつくってもらい、1時間ほど膝詰めで話し合った。当然、最初は口が重い。そこで「私はいま、こう考えている」と率直に話すと、だんだんと口を開いてくれる。それを繰り返しながら、本音を知ろうとした。 01年の前半(1~6月)のシェアでは、僅差でキリンが勝ったが、ビール商戦真っ只中の7月、8月の販売量が伸びない。01年のシェアは負けるなと多くの社員が肌で感じていた。それは現場との対話でハッキリした。

現場の社員や取引先と接することで痛感したのは、同じ考えや価値観を共有して、仕事をしていかなければダメだということだ。確かに新商品、低価格といった戦術もあるが、一発逆転のウルトラCの効果は期待できない。まずは私自ら負けを認めて、原点から出直すべきだと考えた。その年の11月に出した「新キリン宣言」は、直接対話の回答にほかならない。