女性大統領の待望論が沸き起こる米国。これはいったいどんな変化の表れなのでしょうか。

ヒラリー・クリントンが2016年の大統領選への出馬を宣言してから、米国内では“ヒラリー旋風”が巻き起こっている。特に注目されているのが彼女の変化だ。

ヒラリーといえば、自信満々、仕事ができる、そして夫であるビル・クリントン元大統領をしたがえる強い女性というのが一般的なイメージだったが、出馬宣言ではまるで別人のようだった。

「私は大統領になる準備ができている。普通の米国人のために戦うチャンピオンが必要だ」。ヒラリーは出馬宣言ビデオでこう語りかけた。だが、彼女が登場するのはビデオの最後だけ。その他の部分では、ホワイトカラーではなく労働者の人々、同性のカップル、黒人夫婦、人種が異なる夫婦といったいわゆるマイノリティー―現代の米国の普通の人々が、政治に望むことを語っている。つまり、ヒラリーは、マイノリティー、すなわち政治的弱者の立場に立った大統領になる、と宣言したのだ。

ヒラリーは、08年の選挙でも「初の女性大統領」をセールスポイントにしていたが、その時は「マイノリティーの代表」というメッセージはなく、女性にも男性同等の力があるということを主張。力強さを前面に押し出したことで、強烈な「上から目線」との批判を浴びた。

「上から目線」は、時に自信のないことの表れでもある。ニューヨーク州選出の上院議員になったときは、元ファーストレディーの地位を利用したという感は否めなかった。また、08年の大統領選に名乗りを上げた際も、人気があったクリントン元大統領の妻という知名度が人気の源泉であった。しかし、ヒラリーはこの7年の間に一人の働く女性へと自立を果たし、今回の大統領選挙では夫抜きで選挙運動を行っている。