ホンダには、創業者・本田宗一郎(故人)が開発の第一線に立っていたころから継承している開発DNAが存在する。先代を否定し、つねに革新を目指せ! だ。

人見は、開発メンバーにこう宣言した。

「開発はゼロから始めよう。センタータンクだって、変えたって構わないぞ」

人見が指摘したセンタータンクとは、室内空間を広げるために〈燃料タンクはリアシートの下〉というクルマの常識を打ち破って、フロントシート下に燃料タンクを配した初代の革新的な設計を意味した。世界中のクルマ開発者とユーザーが驚愕して絶賛したセンタータンク設計を、人見は「ゼロベースで発想しても構わない」と言い放ったのだ。人見が振り返る。

「センタータンクの変更を上司である役員に報告したときは何か言われるのを覚悟していましたが、何も言及されなかった。役員も、もしかしたらこいつらは(センタータンクレイアウトを)超えられるかもしれない、と思ってくれたのかもしれません。ホンダでは最初から可能性の芽を潰さないし、反対もしない」

役員承認を得た開発チームは、初代を変化・革新させる開発に執着し、新たなスモールカーづくりに邁進していった。開発メンバーはライバル車ではなく、初代を超えることだけしか考えなかった。02年の登録車ランキングでトヨタ自動車のカローラが33年間君臨し続けた販売トップの座を奪取した初代は、カーユーザーに最も支持されたクルマだった。

俺たちが、その怪物を乗り越えてやるんだ――。開発メンバーは燃えていた。

さらに人見は、〈大部屋方式〉の開発チーム体制を立ち上げた。研究所の大空間に開発拠点を構えたのである。その意図は、開発効率の向上と連帯感の醸成にあった。