アメリカの技術者が舌を巻いた発想の豊かさ

佐々木氏が早川電機に入社した1964年は、ちょうど電卓戦争前夜に当たっている。この年に早川電機はオールトランジスタの電卓を発売しているが、価格は53万5000円、重さは25キログラムもあった。低価格・軽量化を図るためには、トランジスタをIC(集積回路)からLSI(大規模集積回路)に進化させなければならない。ここで共創の強みが発揮される。

電卓用LSIを共同開発するために、佐々木氏はアメリカの半導体メーカーに乗り込む。ここで彼のタフネゴシエーターぶりがいかんなく発揮された。いったんは断られたものの、土壇場で合意に漕ぎつける。そして、開発は終始、佐々木氏のペースで進められたという。米国の技術者たちは、爆発的な発想に舌を巻いた。そのときの賞賛を込めた愛称が「ロケット・ササキ」だ。

やがて、LSIが完成し、ポータブル電卓が誕生。大手家電が群雄割拠する電卓市場は、シャープ対カシオ計算機の一騎打ちになっていく。佐々木氏が当初から狙っていたポケットサイズを製品化できたのが両社だったからにほかならない。しかし、佐々木氏の眼は、すでに「ポスト電卓」に向いていた。大ヒットした液晶テレビ「アクオス」がその代表だが、皮肉にも工場への過剰投資が08年のリーマンショック後の経営を圧迫する。そのとき、すでに佐々木氏はシャープを去っており、迷走を続けた同社は今年、台湾の電子機器大手・鴻海精密工業の傘下に入った。

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