ジャーナリスト
田原総一朗さん

1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所に入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに転身。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』で司会を務め、テレビジャーナリズムに新しい風を吹き込む。現在はBS朝日『激論! クロスファイア』(毎週土曜 午前10:00~10:55)に出演中。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など、著書多数。
 

僕は食にこだわりがないの。戦争中は食べ物がなくてね。親父が農家に行っておふくろの着物と米を換えてくるのですが、闇米だから、お巡りさんに見つかったらアウト。無事に親父が持ち帰った米を新聞紙に広げ、そこに指を突っ込んだときの感触は本当に最高だった。そんな時代に暮らしたから、とにかく食べられれば何でもいい。あえていうなら、肉より魚がいいね。お寿司は昔から好きで、「すし森」さんにも二週に一度は通ってます。

政治家と会食する機会もありますよ。僕は田中角栄以来、歴代の総理全員と一対一で会っている。田中角栄とは、目白の田中邸で二度話しました。彼はお寿司を取って、マグロの握りの六面すべてに醤油をつけていた。秘書の早坂茂三が「角さんのすきやきは辛くて食えない」といっていたから、よっぽど辛いのが好きだったんでしょう。

政治家と食事するときは、基本的に割り勘か、僕が出します。そこはジャーナリストとしてのけじめだね。一方、真面目な話をするときは食事はしません。向こうもこっちも真剣だから、料理があっても箸をつける気にならない。

かつて「青の会」という集まりがありました。竹下登が大蔵大臣だったころ、「自分が天下を取ったときのために、藤波孝生、森喜朗、加藤紘一、羽田孜の四本柱を育てたい」と、テレビ朝日の三浦甲子二に相談した。それで赤坂の料亭に集まったのが、そもそもの始まりです。

ところが一回集まった後、三浦甲子二が亡くなった。それで僕と藤波孝生が相談して、ほかにもジャーナリストや官僚を入れて、勉強会として存続させました。藤波が「書生っぽい集まりがいい」というから、名前は「青の会」です。

青という名の通り、当時若手だった小泉純一郎や山崎拓、小渕恵三、橋本龍太郎なども後に入ってきて、侃々諤々に議論するようになりました。最初は料亭で始まったけど、真剣な話になると、やっぱり料理はいらない。場所も二回目はホテルに変わっていました。

僕としても、食事なしの集まりのほうが得意です。雑談がヘタだから、会食だと、どうも相手に申し訳なくて。娘の夫が初めて挨拶に来たときも、何を話していいのかわからなくて、開口一番、「護憲、改憲、どっち?」と聞いてしまった。料理があってもなくても、僕にできるのは結局、政治談議だけなのかもしれない(笑)。