みんなの話についていくのに必死だった

三宅義和・イーオン社長

【三宅】旅費と滞在費はどのくらいでしたか。

【大六野】当時は、変動相場制に変わって、1ドル=300円ぐらいでした。少しは円の価値が上がったとはいえ、とにかくアルバイトして少しでも多くおカネを貯めなきゃいけないということで、水道工事の仕事をやりました。一生懸命ですから、すぐに腕も上がる。そのうち、親方から「おまえ、もう大学をやめて、ウチに来い」と言われたぐらいです。とにかく50万円ほど貯めました。それで渡米したのですが、その準備として、アルバイト中は毎朝、東後勝明先生のNHKラジオ「英語会話」を聴いていたんです。

【三宅】ありましたねぇ。

【大六野】1度ではわかりませんから、オープンリールのテープレコーダーに録音しました。夕方4時ぐらいにアルバイトの仕事が終わりますから、まっすぐ下宿に帰って、そこから懸命に聴くわけです。こうやっていれば、アメリカに行っても会話には苦労しないだろうと思って、ガンガンやりました。ところが、その効果はむなしいものでした(笑)。

エクステンションのプログラムは、9月から始まりまして、私は英語と、アメリカ史を受講しました。向こうでは、寮に入って、アメリカ人と一緒に食事をしたりするのですが、彼らが何を言っているのかさっぱりわからない。外食の際も同じです。私はハンバーガーが大好きなんです。バークレーに今はありませんが、「ジャイアントバーガー」というお店がありました。本当にビッグサイズ。でも、頼むのにドキドキしてしまうわけです。

【三宅】わかります、大変だったでしょう。

【大六野】店員さんが「Would you like something else?」と声をかけてきますが、聞き取れなかったらどうしようと心配でしかたありません。もう、店の前を30分ぐらい行ったり来たり。それでも、ついに我慢しきれず、店内に入る。案の定、英語で注文を聞かれるわけです。

しかし私には「ウンギョウンギョンギョ」としか聞こえない。それでしょうがないから、「Yes」って言ってしまった。すると「What would you like to drink?」と聞いてくるじゃないですか(笑)。今度は「No」と。みるみる店員さんの顔色が変わりました。そこでもう、とにかくお金をカウンターにパッと置いて、ハンバーガーをガッと握って、ピープルズパークへ逃げ込んで、泣きながら、ハンバーガーを食べました。

【三宅】そうでしたか(笑)。

【大六野】もうその日は「俺はどれだけ長くいても、絶対に英語はわからない。聞き取れないし、しゃべれない」と焦って、一計を案じたのです。私は、ロックフェラー2世が寄付して、建てたという、古いインターナショナルハウスで昼、夜の2食は食べていました。そこに日本文学を研究している人のよさそうなアメリカ人青年がいる。

彼を近くの日本料理屋に連れていき、100ドル、日本円で3万円の大枚を払って、キリンビールに牛の照り焼きをご馳走したのです。そして「おまえ、これから毎日、俺の横にいてくれ。インターナショナルハウスでの食事時、俺はわかったようなふりをして『Oh my!』と口を合わせるから、あとで、何を話していたか教えてほしい」と頼み込みました。わからない言葉を彼に聞いて、それから、ダイニングルームに、いま来たような顔して座り、自分なりの発言をするわけです。途中でわからなくなったら「By the way」と話題を変えてしまう。とにかく、みんなの話についていきたいと必死でした。