大学で教えるかたわら、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」などの有力誌に寄稿していたベテランジャーナリストのポーター。牛に鼻輪を付けてぐいと引っ張る身ぶりをしながら、なぜリードが重要なのかこう説明した。

「リードを読んでもらえなければ、残りも全く読んでもらえない。リードとは読者をぐいと引きこむという意味。リードで失敗したらすべての努力が無駄になってしまう」

以上が即席の「フィーチャー記事講座」だ。個人的には、ポーターからフィーチャー記事の書き方を初めて学んだ時、「アメリカのジャーナリズムはこれほど体系化されているのか」と驚いた。同時に、「近代的フィーチャー記事のパイオニアがWSJ」と知り、現在に至るまで同紙の愛読者になった。

ストレートニュースは経験が浅い若手記者でも書ける。基本は5W1Hの逆ピラミッド型であり、機械作業に近いからだ。フィーチャー記事は違う。経験豊富なベテランジャーナリストでなければ、カラフルな人物描写などを織り交ぜつつ、鋭い分析と深い取材で問題を浮き彫りにする長文記事はなかなか書けない。

第一列のリーダー、第四列のAヘッド、第六列のリーダー─。WSJの一面を半世紀以上にわたって支えてきたのは、月曜日から金曜日まで毎日掲載される三本のフィーチャー記事だ。特にリーダーは同紙に数々のピュリツァー賞をもたらしてきた看板コラムであり、一流紙の証しだった。

WSJでは最高の書き手が「ページワンエディター(一面担当編集者)」になる。ページワンエディターは二本のリーダーとAヘッドにだけ責任を持ち、一本の記事を完成させるまでに数カ月かけることも珍しくなかった。編集局内では「一面にフィーチャー記事を書かなければ一人前ではない」と言われ、記者の間での競争は激しかった。

日本の新聞記者にしてみれば、フィーチャー記事を主体にするWSJ編集局の雰囲気は別世界に見えるだろう。本書には次のような興味深い記述がある。

「ジャーナルの伝統に従い、編集者たちはその日の最大のニュースが何かは議論しなかった。世界中のどの国のどの新聞とも違って、ウォール・ストリート・ジャーナルは、一面にはニュースを載せないことで知られる。大きなニュースは『A3』と呼ばれる中面に並んでいた。

一面を飾る優れた特集記事や調査報道の掲載予定は、掲載の数週間前、場合によっては何カ月も前に決まっていた。このためジャーナルの日々の編集会議では、もっとも悲惨もしくはもっともドラマチックなニュースは何かをめぐって激論が交わされることもなく、その日の記事の予定が型どおりに説明されるだけだった」

マードック傘下に入った2007年以降、WSJの一面からはリーダーは実質的に消えつつある。「Aヘッドがなくなるのも時間の問題」との見方もある。事実、かつては第四列の上方に置かれていたAヘッドは、今では一面の一番下に追いやられている。

それもそのはず、マードックは「まどろっこしい」との理由でフィーチャー記事を嫌っているからである。本書に書いてあるように、初めて顔を出したWSJ支局長会議の席で次のように発言している。

「大きなニュースが発生したら、何が起きたのかすぐに書け。基本事実を第一パラグラフに持ってくるように。分析は後でいい。読者はそんなに暇じゃない。(中略)記事は短ければ短いほどいい」

「長い記事は週末版へ回せ。ニューヨーク・タイムズで最悪なのは(フィーチャー記事ばかりの)日曜版だ。(中略)分厚くてグレー一色で、金曜日の正午以前に書かれた古い記事だけ載せている」

要するに、WSJ流フィーチャー記事を拒否し、日付モノと逆ピラミッド型への復帰を宣言したのである。キルゴア改革の全面否定ともいえよう。