馴れ合いが「権力の不正監視」を甘くする

ところが、新聞は「お上の発表」や「馴れ合いの情報提供」などによる記事が大半を占めているのが実態だ。仮に取材対象の機嫌を損ねるような問題であっても、不正の疑義があれば積極的に追及取材を続けなければ存在意義は失われる。

しかし、新聞社は記者室という場所を提供され、権力内部へと丁重に招き入れられた結果、原価無料の仕入れ(情報)を直売り(報道)と迂回商品(各種事業)で儲けられる夢のようなビジネスモデルに浸かり込んでしまい、本来の役目である「監視」を二の次にしてしまったかに見える。

筆者の記憶をさかのぼるだけでも、記者クラブの弊害が問題視されてすでに40年は経過しているが、積み重なる馴れ合いが「軋轢」を撥ね退ける力を削ぎ、タダで情報をくれる相手との摩擦を生むスキャンダル取材は損だと判断され、タンスにしまい込まれてしまったようだ。

それが常態化したために、その種の取材努力も実りにくく、やる気のある記者にとっても徒労となりがちだ。舛添問題をはじめとして、政治や行政のスキャンダル第一報が新聞から出にくくなっているのは、記者クラブを接点とした馴れ合いが、権力の不正を監視して暴くための「軋轢を覚悟した積極的な取材」を内側から蝕み、阻んでいるからである。

多くの記者が、「さぁ、質問攻めだ!」という舞台では力を発揮できても、どこかの誰かが着火しなければ、自ら「取引先のスキャンダル」の扉を開くことに尻込みしがちなのだ。

税金の使途を監視すべき新聞が率先して暴けず、またしても後追いとなった舛添問題は、先々、別の問題も積極的に暴かれそうにないことを暗示している。

2つ目の問題はもう少し巧妙で根深い。会見で中途半端な質疑応答に終始した「宛名なしの領収書」である。釈明会見ではそれが意味する背景に突っ込んだ質問がなかったおかげで、舛添知事は言葉巧みに言い逃れたかに見える。

しかし筆者には、この説明のくだりで舛添知事は墓穴を掘ったとしか思えない。

大袈裟な身振り手振りで舛添知事が釈明した要点を意訳すれば、こういう話だ。

○公費と私費、2つの箱がある。あらかじめ会計責任者には自分のポケットマネーで20万~30万円を渡している。
○領収書を渡して、私費はそのプール金から支払われる。プール金の残額が少なくなれば自分が補填する。
○領収書には宛名がないものもあるため、会計責任者が判断をミスって、私的なものも公的な使途として記載処理することがある。
○自分は彼を責めようとは思わない。今後は誤解を招かぬよう、政治資金に精通した専門家に頼んでチェックをお願いしようと思っている。

驚くべき釈明だ。しかも狡猾に過ぎる。舛添氏は、国会議員・厚労相を経て新党を立ち上げ、現在の東京都知事に就いた政治の専門家なのだ。その専門家が、「自分の私費を公費として処理したのは会計責任者の判断ミス」「領収書の公私判断は今後、政治資金の専門家に委ねる」と言っているのである。