「そういうことだけやっているわけではない」

今回の事件で誰もがまず連想したのは、「また雑誌のスクープか(最近なら「また文春か」)。新聞はナニしているのかね?」であろう。

官公庁や地方の役所には新聞やテレビの記者が常駐している。都庁にも「都政担当記者」が配されている。その本来の目的は「権力の監視」であり、記者クラブがその気になって取材すれば、都政の内部情報は溢れんばかりだ。

都政担当のある新聞記者に「知事の行状には本当に気づかなかったのか、それとも知っていてスルーしてきたのか」ときいてみると、

「ほかの取材が忙しくて気づかなかった」「(先を越されて)正直、悔しい」

との反応。そこで、少し突っ込んできいてみた。

――しかし、気づかなければそれ自体が問題では? 日常的に、積極的には不正追及取材をせず、他の媒体からスキャンダルが出た途端に必死でやる、というのは……。

記者「いや、我々はそういうことだけやっているわけではないので。都政といっても守備範囲が広いわけで」

――記者の仕事は結局、「都民の税金がまともに使われているかどうか」に尽きるのでは?

記者「それだけじゃないでしょう? 小さなことを挙げればキリがないですが」

――市町村も都道府県も国も予算配分こそが最重要課題です。不適切な使い方、不当・違法な使途があれば、小さい大きいが問題ではないのでは?

記者「それはその通りですが、例えば選挙やエネルギー、貿易、軍事などをやっていれば忙しいでしょう?(笑)」

――どれも莫大な税金の行方が問題だからですが。税金の使われ方こそが監視役として最重要だという空気が日常的に薄れているんじゃないですか?

記者「そんなことはないですよ。ただ、もっと構造的な問題がからむので、そう簡単な話ではないわけです」

先に言っておくが、筆者とこの記者氏は喧嘩をしているわけではない。16日の会見後に2度、20日の会見後に電話で一度しか話していないこともあり、基本的な見解の違いを互いが理解するのに手間取っているだけだ。

とはいえ、構造的な問題には必ず金がからんでいる。それが公金であれば莫大な額に広がり得るため、メディアがチェックするのである。新聞社の都政担当がチェックを怠ったり、“日和見”で取材自体を尻込みしていたら、有権者は判断情報が得られず、まともに主権を行使できない。

皮肉な言い方をすれば、今回のように釈明会見を開いたおかげで知事の不正を追及する舞台が用意された、ともいえる。そうでなければ、静かな日常を破ろうとはしない「オトナの空気」が普通だからだ。実際、2回目は1回目、3回目は2回目の会見以上に厳しく問い質す記者が増えていた。

政府ベッタリのトップに抗えず報道が左右されがちなNHKの実態を知らない人は、まだ多い。それでも時には核心を突く報道がある。但し、それはニュースではなくドキュメンタリ―、つまり記録映像作品である。また、広告スポンサーの意向で番組が左右される民放に期待する人は減っているが、深夜枠には外注プロダクションによる低予算ドキュメント映像の労作もある。依然として宅配制度に支えられ、購読料を“談合”しているとも批判されてきた新聞も、全国津々浦々の情報を提供している現実で存在意義を維持し、未だに“権威”を保ち続けている。