「元に戻す」のではなく「新しい平衡状態」を見つける

それは「以前とまったく同じ状態に戻る」ことではなく、別の新しい平衡状態を見つけるということです。その結果、がんが治るかもしれないし、治らないかもしれない。ただ、治療する側が「元の状態に戻す」ことにばかりこだわると、かえって不調和を増進させてしまうことにもなりかねません。生命は常に動いています。アンチエイジングにしても、自然の摂理である老化と「戦う」「逆らう」という発想には無理があります。青年期、壮年期が人生の最も素晴らしい時期で、老いは醜くて避けるべきと考えてしまうと、無理をして青年期、壮年期に戻ろうとするわけですが、そうすると必ずしわ寄せがきます。

病は敵である、死は敗北である、という枠組みで考えるかぎり、1分でも1秒でも長く生きることが勝利ということになり、生命や人生の「質」が見失われてしまいます。最高の医療をもってしても1歳や2歳で亡くなる子どももいます。人生で大切なのは量ではなく質なのです。老いや死を医療の敗北ではなく、生命サイクルの完結と考えることで、その子が「生きた」意味が立ち上がってきますし、関わった人たちもその意味に気づけるのです。

『がんが自然に治る生き方』(ケリー・ターナー著 プレジデント社)

病気になったときも「完全に元の状態に戻す」ことが生きる目的となると本末転倒です。時は逆行しません。それよりも自分はどう生きたいのか、よりよい人生を生きるためにはどうしたらよいか、本来はそういうことと共に生きていくのが医療の本質です。哲学や教養――固い言葉でいえば生命倫理とか医療倫理――という、いわば「土台」がなければ、いくら技術が進歩しても、ただ先鋭的になり不安定になるだけで、医療の目的地を見失うことになります。医療技術は、人間が本来備えている自己治癒力を生かし、サポートするためのものです。自己治癒力がなければ内科でも風邪でさえ治りませんし、外科でも傷口すらふさがりません。人間の内なる力を無視して技術だけを進歩させても、本当の意味で命や人生の本質には迫ることはできないのだと思います。

そういう意味でも、がんになった人は、「がんや病気のことを考えない時間」を持つべきです。ケリー・ターナーさんの本には、「朝夕2回、娘と二人で笑う時間をとる」ことを決めた女性が出てきます。彼女はそうやって、新たに取り組むべき使命を見つけました。それによって生きる力が内側から湧いてきたのです。がんのことばかり考えると、がんが思考やライフスタイルの中心となる生活に引っぱられてしまいます。がんがあったとしてもなかったとしても、自分はどういう人生を生ききたいのか、自分は何のために生まれてきて何のために生きていくのか、という根源的で重要なことを自らに問う内省的な時間を持つ必要があるのだと思います。『がんが自然に治る生き方』で、劇的な寛解を遂げた人たちがやっていた9つの習慣のうち7つが「心」に関わることでした。そのことは、内なる力に気づくこと、それを表現する言葉を得ることがいかに大切かを物語っていると思います。