中堅と呼ばれる年齢のビジネスパーソンで、意に沿わない人事異動を発令された経験がない幸運な人は少数だろう。「日の当たらない部署に異動させられた」「今の仕事にやりがいを感じていたのに配置転換させられた」――多くはそんな人事を一度ならず経験しているはずだ。なかには「左遷させられた」との思いを味わった人もいるに違いない。

『左遷論』は、左遷というビジネスパーソンにとっては聞き捨てならない人事のあり方に焦点を当てて、日本企業が持つ人事制度・組織文化の特徴や、それらが今や制度疲労を起こしつつある実情を冷静に分析したビジネス書だ。

著者は左遷を「それまでよりも低い役職や地位に落とすこと。外面から見て明らかな降格ではなくても、組織の中で中枢から外れたり、閑職に就くことを含む」と定義し、こう指摘する。

「欧米では、個々の仕事が個人と結びついているので、そもそも定期異動自体が存在しない。欠員が出た時にその仕事に見合った人材を募集して補充すれば足りるからである。そのため左遷という概念は生まれにくい」

給与の削減を伴う降格や指名解雇はあっても左遷はないというわけだ。

確かに、明らかに格下の役職に飛ばされながらも、雇用が守られ、しかも給与はほぼ変わらない人事をも含む左遷は日本企業に特有の人事かもしれない。

ではなぜ左遷が生まれたのか。その分析こそが本書の読みどころなので詳しくは触れないが、結論だけ紹介すると著者は日本企業の共同体的な性格に起因すると書く。

すなわち――正社員としての入社は会社共同体の一員になったことにほかならず、どの部署に配属されるか、どんな仕事に就くかは辞令1本で決められる。そして同期入社同士で競争しながら役職の階段を上っていく。しかし年齢を重ねるにしたがって、枢要なポストの数は相対的に減り、さらに組織自体に暗黙の格付けもあるので、誰かが格下の役職に就かなければならなくなる。会社は共同体だから心ならずも格下の役職に異動させられた社員は仲間の視線が気になり、それが左遷された意識をいっそう募らせる――。

著者はそのうえでさらにこう警鐘を鳴らす。

グローバルな競争にさらされた日本企業では今、リストラや組織の縮小、吸収・合併などによって、共同体的な性格に起因する旧来型の左遷とは違う、新たな左遷が大量に生まれている。日本企業を共同体たらしめた人事制度や組織文化ではもはや社員のモチベーションを維持させられなくなっていると。

企業はどうすべきなのか。そして私たちビジネスパーソンはどう意識を変えたらいいのか。示唆に富んだ一冊だ。