現地の感覚に謙虚に向き合い商品開発に挑み、快進撃を続けているサムライ・ブランド。“メード・イン・ジャパン”は新たなステータス・ブランドとなるか。アジア市場での軌跡とこれからを追った――。

「ベトナムでは、バイク立ち入り禁止の標識代わりに『NO HONDA』って書くんですよ」

丸の内ブランドフォーラム代表で、ブランドの研究・育成のプロフェッショナルである片平秀貴(ほたか)さんは、開口一番、こう語った。

丸の内ブランドフォーラム代表 片平秀貴氏●東京大学大学院経済学研究科など国内外の教授を歴任。ブランド研究・実践のプロとして、日本ブランドの推進に携わる。

アジアにおける日本ブランド躍進の歴史を振り返るならば、時は1960年代、ベトナム戦争に遡る。

「現地ではバイク=ホンダなんですね。それには、歴史的な経緯があって、75年サイゴン(現ホーチミン)陥落のときに、多くの人たちがラオスに逃げました。重い荷物を荷車に載せて命からがら山を越えるときに、ホンダだけが最後まで力があった。それで、ホンダは一気にベトナムの国民的乗り物になったんです」

件のバイクとは、日本でも郵便屋さん御用達でおなじみのスーパーカブのベトナム仕様のことだ。

58年に国内で初代モデルが発売されて以来、世界生産累計9000万台超。もちろんギネス記録だ。直近の1年間だけでも、実に400万台が世界中で買われていった。

「決してベンツでもアウディでもない。でも、世界で最も多くの人に愛される。そういうのが日本製品のよさですよね」

無骨だが人々の生活を支える車

もうひとつ、アジアにおける日本神話の創成期を築いたサムライ・ブランドがある。77年、トヨタがインドネシアの現地法人と開発した多目的車「キジャン」だ。

「7人家族とその荷物が積めて、満載でもインドネシアの田舎の急な坂道を上れる車。決して豪華でなくていいし、スピードが出なくてもいい。でも絶対に壊れない、すぐに直せる、安い。そんな現地の実情を捉え、改良に改良を重ねていったんです」

質実剛健。無骨だが本当に人々の生活の糧を支える車。そんなサムライ・ブランドのスピリットを体現したキジャンは、インドネシアの人々に愛され、2002年に100万台目のラインオフを祝った。