タクシー業界が大変です。東京地区の2009年5月の1台1日あたりの平均売上高は3万8243円と、前年同月比で18%も減りました。同地区で4万円を切るのは第2次石油危機直後の1981年以来、27年ぶりだそうです。

日本のタクシー事業は道路運送法によって規制されていましたが、2002年2月に同法が小泉改革の規制緩和により改正され、新規参入が容易になったという経緯があります。規制緩和をすれば、競争が促され、サービスが向上し、価格が下がる……本当でしょうか?

実際には、競争が激化したにもかかわらず、東京では値上げが起こったうえに、運転手さんの暮らしも大変という状況に陥りました。タクシー業界では規制緩和で意図したことが起こらなかったのです。東京では価格は下がるどころか、2007年12月に初乗り運賃が値上げされました。なぜ、こんなことになったのでしょう。

結論から言うと、これは政府が予期しなかった結果なのです。経済学では需要曲線と供給曲線があって、その交差する点で商品(やサービス)の価格と数量が決まる、と考えます。いままでの法律を緩和し、新規の参入を増やせば、供給曲線が右にシフトし価格も下がり、経営状態の悪い会社や、サービスの質が低い会社は自然に淘汰される、というシナリオが規制緩和を進めた官僚や経済学者の頭には描かれていたはずですが、そうは問屋が卸しませんでした。

経済学の教科書どおりにこのモデルが成り立つのは、関連するすべての情報に全員がアクセスでき、それぞれの意思に応じて好きな商品が購入できる、という大前提があってのことなのです。たとえば原油のようなコモディティ市場の場合にはそれが成り立ちます。でもタクシーの場合はどうでしょう。乗るときに会社を選んで乗る人がどれだけいるでしょうか。都市部では、ほとんどの人が手を挙げてたまたま来たタクシーを拾っています。さまざまな情報にアクセスして、自分の好みにあった会社や車両を選択する人は少数派でしょう。つまり、タクシー会社のほうでいくらサービス内容をよくしても、利用客の側で、好きなタクシーを必要なときに選べないという状況なのです。

今回の規制緩和のもうひとつの誤りが時間軸を無視したことです。規制緩和によって、台数制限がなくなりました。タクシー会社は台数を増やせば増やすほど売り上げが伸びるわけですから、どんどん増やします。といっても、上限があります。それは、車を1台増やすことで発生するコストよりも、増やすことで得られる利益のほうが多いところまでです。経済学では1台増車するごとに増える売り上げからコストを引いたものを「限界利益」といいます。その限界利益がプラスである間は、増車が行われます。もちろん、台数がどんどん増えていくに従って、市場規模が変わらなければ1台あたりの売上高は下がりますから、限界利益はどんどん小さくなります。それでも、ゼロより大きければ、増車が続くわけです。

しかし、今回のように経済危機が起こって需要が大幅にダウンした場合には、それまでよりも1台あたりの売り上げがさらに下がり、1台あたりの利益が一気にマイナスとなることもあります。経済学的に考えれば、タクシー会社は、それぞれ減車し、1台あたりの利益がプラスになるようにすると考えられますが、実際にはそれは起こりませんでした。

赤字でも、踏ん張るわけです。限界利益がマイナスになり、業績が赤字になっても、そのうち景気が拡大するかもしれない、いったん景気が回復したら運転手さんの確保が大変だから、もう少しいまのままで様子を見よう、となるわけです。それには、つい数年前まで、有効求人倍率が1倍を大きく超えて、人が非常にとりにくかったときの思いが残っているのです。

さらに、しばらくすれば、景気は回復するという期待や、台数での業界での地位など、さまざまな思惑が経営者の頭をよぎるのです。