「展示会や雑誌にはIT業界の最新情報が集まってくる。孫社長はそこからヤフーの面白さに気づき、出資を決めている。初期の成功例として語り継がれているが、こうした方法が投資リスクの最小化へつながっているわけだ」(同)

このとき孫は、今後のIT業界はインターネットが主流になることと、そのなかでヤフーが重要なプレーヤーになることを予見。だから100億円も投じたのだ。この結果、アメリカにおけるヤフーの上場とそれに伴う株式売却益の獲得、日本におけるヤフー・ジャパンの成功につながっている。

孫の会議は深夜でも呼び出し

また、将来のビジョンから逆算して、いま何をすべきかを考えるのも“孫流”の意思決定の方法だ。2001年にソフトバンクがブロードバンド事業に参入する際は、いきなり「モデムを100万台発注する!」と決断した。

「当時のブロードバンド市場規模は小さく、利用料金も高額だった。その理由の一つが加入者の自宅に設置するモデムの価格が高かったこと。そこで、孫社長は『発注台数を100万台にすれば、大量生産効果でモデムの価格が10分の1に下がる。そうすれば、みんなが使える』と考えた。私を含めて周囲の者は猛反対したのだが、いま振り返ると、実際にそうなっている」(同)

実は三木がこの事業に携わっていた時分、社内会議は深夜におよぶことが多かった。そこでは、孫がホワイトボードに数字や図を書き、それをもとに全員で議論していく。正確な情報を掴むために、出席したメンバーだけで用が足りなければスピーカーフォンで別の場所にいる人間につなぐ。時間や場所は一切お構いなしだ。このタフネスさとスピード感がソフトバンクの強みなのである。三木も数え切れないくらい呼び出された。正月元旦に孫の自宅まで出かけて、その年の経営方針を話し合ったこともある。そして結論が出れば、孫は「いますぐ大至急」と、すみやかな実行を指示する。