経営を立て直したスローガン

三菱電機が電機メーカーとして、今のように本当に強い会社に生まれ変わった頃のことを、2014年に社長に就任した柵山正樹氏は、こう語る。

「私は2001年がわが社の一つの原点だったと思っています。2000年はITバブルの年で、その翌年にITバブルが崩壊して、非常に厳しい経営状況に陥った。営業利益ベースで赤字に落ちたわけです。それが生まれ変わるきっかけになりました」

執行役社長・取締役 柵山正樹氏●1952年生まれ。77年東京大学大学院工学系研究科博士課程中退、三菱電機入社。2014年4月より現職。

柵山氏はそう言うと、1冊の小冊子を差し出した。それが2002年に全従業員に配られたもので、コーポレートステートメントを、それまでの「SOCIO-TECH」から「Changes for the Better」に変えたことを表明した社内向けものだ。

「私は、その『Changes for the Bet ter』という言葉が、今わが社のベースになっていると思っています。みんなでよりよいものを目指していこうということなんです」

当時の社長は3代前の野間口有氏。そのとき、どん底だった経営を立て直すためのスローガンが、「強い事業をより強く」だった。

柵山氏は当時、製造部長。赤字で苦しんでいたが、「強い事業をより強く」と言われ、腑に落ちたという。「何か新しいことをやれ」というのではなく、「とにかく自分が強いと思っているものを徹底的に強くしろ」というそのスローガンが、会社を立て直す最前線にいた社員たちに強く響いたのである。

「当社はモーターに非常にこだわっているんです。モーターといえば成熟製品の代表のように誤解されるのですが、苦しいときでもモーターは海外の安いものを買ってくるという発想をせず、国内で作って、最高の性能で、かつ低コストなモーターを作ることを追求していった。そんなモーターを、社内のほとんどの事業で使っている。その姿勢というのは、今でもわが社の原点だと思っています」

さらに功を奏したのが、構造改革のときにあえて分社化しなかったことだ。

「わが社は本部長同士が仲よしで、一緒にお酒を飲みに行ったり、ゴルフをしたりするんです。それは2001年の苦しかったときに、私の先輩たちが分社化しなかったことが大きいと思っています。新年のご挨拶でお客さまのところに行くときも、執行役3~4人で一緒に行くと、非常に珍しいと言われる。分社化していると、それぞれの部門の社長になるので、他部門と一緒に行こうという発想が出にくいのかもしれません。その点、我々は、エレベーターの商談で照明や空調も提案するというような事業間連携がしやすいのです」