驕りが「日本人を調子狂いにさせた」

このように順番に読んでいくと、歴史作家が次第に歴史家へと変貌していくことが感じられると森氏は書く。そして、その白眉となる作品こそ6冊目の『坂の上の雲』だ。ここには、伊予松山生まれの2人の軍人が登場する。日露戦争の立て役者となった秋山好古、真之兄弟である。兄は、ロシアのコサック騎兵の進撃を食い止め、弟は、日本海にバルチック艦隊を撃破した。

司馬は2人の強さの背景に武士特有の合理主義を挙げる。彼らは、徹底したリアリストで、現実を正確に把握し、未来への情熱、高い精神性を持っていた。だから、自国を過大評価せず、戦争であれば、その落とし所も十二分に心得ていたとする。同じように、日露戦争に伴うポーツマス会議における小村寿太郎もそうだ。これ以上の戦争継続は困難という状況下、水際立った交渉で和平を成立させている。

しかしながら、この薄氷を踏むような勝利が、日本の曲がり角になってしまう。森氏によれば、司馬は日露戦争後から1945年(昭和20年)の40年間を“異胎の時代”と名づけている。簡単にいってしまえば、大国・ロシアに勝ったという驕りである。司馬は「日本国と日本人を調子狂いにさせた」書いている。それが後の国策としての韓国の併合であり、五族協和を掲げた満州国建設という過ちにほかならない。

そのことが、司馬がなぜノモンハン戦の執筆を断念したかということにつながる。結論からいえば、帝国陸海軍が肥大していくにもかかわらず、秋山兄弟のように良質な日本人が育たなかったからだ。彼らのように、司馬が小説の主人公に据えたくなるような逸材がいなければ、小説化しようという意欲は湧かない。だから司馬は、冒頭の随筆や『街道をゆく』のような歴史紀行に舵を切ったのである。

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