映画監督の森達也さんの『FAKE』の試写を見た。凄い作品だった。

佐村河内守さんに密着したドキュメンタリー。最後の12分間の「結末」は言えないことになっているので、ここには書けないが、公開されれば、大変な話題を呼ぶことは間違いないと思う。

「現代のベートーベン」とまで言われた佐村河内さんについて、様々な「事実」が明らかになって、スキャンダルになってしまったことは、記憶に新しい。この映画は、あの一連の出来事について、どのような光を当てているのか。ぜひ、作品を見ていただきたいと思う。

上は学歴詐称が発覚したショーンK氏。下はゴーストライターが作曲していたことが判明した佐村河内守氏。(写真=AFLO)

『FAKE』を見て改めて考えさせられたのが、人間の能力の多様性ということである。

例えば、作曲という行為がある。普通、作曲には、譜面を読んだり、書いたりする能力が必要だと思われている。もちろん、できるに越したことはないだろう。

また、ピアノなどの、楽器が弾けることも、作曲には不可欠だと考えられている。これも、確かに、できるに越したことはないだろう。また、絶対音感も、ないよりはあったほうがいいに違いない。

しかし、これらの能力は必須ではない。喜劇王チャーリー・チャップリンは、メロディを口ずさんだり弾いたりして、あとは専門家が譜面に起こしたりアレンジすることで「作曲」した。『街の灯』や、『ライムライト』などの音楽は、そのようにして作られている。

モーツァルトやベートーベンのように、音楽に関するさまざまな能力をすべて持っていた人もいる。一方で、持っていなくても、作曲などで活躍することは可能だ。

私たちは、つい、減点主義で人間に向き合いがちだ。しかし、人間の能力は実に多様で、ある能力が足りないからと言って、別の能力までないと決めつけるわけにはいかない。それでは、もったいない。