2016年4月29日(金)

上カルビと並カルビの差って何だろう? 肉の小ばなし3つ

dancyu 2014年8月号

文・松浦達也

[01]なぜ昔は食べなかったの?

むかーしむかし、日本人はお肉を食べなかったそうな。「肉を食べるとバチが当たる」とまことしやかに伝えられてきたからだそうな……。

というわけで、時は7世紀。飛鳥時代に入ると、しばしば天皇から肉食禁止令が出されるようになる。

「春から秋にかけての農繁期に、農民が酒を飲んで肉を食うだなんてもってのほかである(※1)。特に牛や馬などは食べちゃダメである(※2)」

もっともこうしたお触れが出ること自体、肉を食べていた証左でもある。

平安時代にも、たびたびお触れは出される。9世紀には桓武天皇が「牛を殺して神様に供えちゃダメ!」(※3)、嵯峨天皇も「ダメって言ったじゃん。全然守らないから取り締まり強化じゃ!」(※4)と規制は厳しくなるばかり。ちなみに当時の美人女流歌人と言われた、小野小町も鶏、クマ、ウサギ、鹿肉を好む(※5)肉食系女子だったという。

その後も幾度となく「肉食禁止」「殺生禁止」のお触れが出されるものの、その裏で肉を食べていた痕跡があちこちに。

象徴的なのが16世紀に来日した宣教師たちの記録。かのフランシスコ・ザビエルを含めた宣教師が来日間もないうちは「日本人は肉を食べない。罪悪視すらしている」と本国に報告するが、滞在が長くなると「実は肉好きらしい。あの豊臣秀吉まで!」(※6)とその裏側を知るようになる。

といっても、建前としてはあくまで「肉食厳禁!」は変わらず、秀吉もエラい宣教師を京都に呼びつけ、「人民の大切な牛馬をなぜ食うのか」と問い詰め、「食ったら厳罰だ」と言い渡したという。

江戸時代に入っても肉食禁止は変わらない。むしろ制度上は厳格化し、1687年以降、何度も生類憐みの令が発布されることに。もっともその間にも、彦根藩が牛肉の味噌漬けを考案し、大石内蔵助も堀部弥兵衛のもとへ「栄養つくよ!」と味噌漬けを贈るなど(※7)、厳守されたのか、かな~りあやしそうな文献が多数残されている。

結局、江戸や大坂で庶民の食文化が花開く18世紀には、各地でなし崩し的に肉食ブームがわき起こる。

今も牛の名産地として名高い近江などは、老中から「牛の屠殺数が多すぎる! 吟味せよ!」と目をつけられていた(※8)のに、「牛の干し肉がバカ売れ!」というウハウハな記録(※9)も。

確かに公式に肉食が解禁されるのは明治維新ではある。しかし我々は、古くから建前と本音を使い分け、肉と付き合ってきた。お上の規制と実情は、いつの時代もちょっぴり違っている。

※1 646年 孝徳天皇、大化の改新の詔
※2 675年 天武天皇、初めての明確な肉食禁止令を発布
※3 801年 『類聚国史』より
※4 811年 『日本食肉史年表』より
※5 9世紀中頃 『玉造小町壮衰書』より
※6 1585年 ルイス・フロイスの報告
※7 1700年頃 「老養に最上品」との一筆も
※8 1738年 『徳川禁令考』より
※9 1772~1780年 『兵庫県の畜産』より

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松浦 達也