当時、商品の販促活動は本社が決め、CMも全国一律だった。だが、部下たちの意欲を、実現したい。常々「課題は現場にあり、解決策も現場にある」と説き、「やろう、できるよ」と鼓舞していただけに、その信条も問われる。本社の担当部署に持ちかけても「前例がない」と押し返されるので、役員や事業部長に直談判した。幸い担当専務が、30代半ばを過ごした人事課の先輩。部下たちの意欲を背に説得し、別枠で予算を獲得する。40代最後の夏だった。

キャンペーン期間は、需要期を控えた9月から3カ月。10月7日には、福岡ドームで行われたプロ野球ホークスの地元最終戦を買い取り、「ほんだし いりこだしナイター」と銘打った。試供品を配り、攻守交代の合間に、大画面に地域限定CMを放映する。契約時には予想もしなかったが、この日、ホークスは優勝まで「マジック1」、勝てばパ・リーグで2連覇という劇的な舞台で、主軸の小久保裕紀選手の本塁打で優勝を決め、福岡じゅうが盛り上がる。キャンペーン商品の売り上げは例年の3倍に達し、看板商品になる。

部下たちと前例打破に挑んだのは、販売現場の士気を高める狙いと、九州の市場は「もっと深掘りできる」と読んだからだ。赴任した1年余り前には、支店が長く取引してきた地元の流通業者のなかに、バブル経済崩壊後の長い景気低迷で経営難に陥り、大手に買収されるところが出ていた。食品販売の先行きに不透明感が漂い、支店内には動揺が起きていた。

そこで、着任してほどなく「誕生日会」を始めた。毎月、ある日の夕方に、その月に生まれた支店員たちを会議室に集め、取り寄せた弁当を一緒に食べながら、おしゃべりをする。酒も用意し、席を移動しながら1人ずつと話す。初めは職場の感想などを尋ねるだけで、打ち解けてきたら、通勤事情や休日の過ごし方、趣味などに話題を広げる。気をつけたのは「ざっくばらんに」の一点だ。

日中は厳しく、叱りもするが、午後5時を過ぎれば別。ずっと厳しいままでは、部下から「これをやってみたい」との声は出てこない。話しやすさ、接しやすさが、現場力を引き出すには不可欠。支店は100人余りで、後に集約したが、北九州や大分、熊本、鹿児島に営業所、宮崎にも出張所があり、そこからの参加も歓迎した。こうした積み重ねが、九州独自のキャンペーンの発案に結実する。