2016年4月8日(金)

職人の技が光る! 一流店の「あんこ」

dancyu 2014年6月号

文・塩野米松 撮影・石井雄司

いろんな記録が残っているが、元禄2(1689)年に、江戸の菓子屋は49軒あったという。生類憐みの令を出した五代将軍綱吉の時代である。それから100年後の天明7(1787)年には218軒。十一代家斉の時代で、田沼意次が失脚し、江戸や大阪で打ち壊しが起きたりした時代である。菓子屋の規模はわからないが、多くは江戸城の東側、日本橋を中心にした繁華街だった。

江戸時代の菓子事情を紹介しておく。

【1624年】長崎にカステラ屋開業。
【1717年】山本新六が向島長明寺前で桜餅を販売(諸説あり)。
【1772年】江戸で大福餅販売。当時は腹持ちがいいので腹太餅、大腹餅と呼ばれ、後に縁起のいい大福餅に。
【1807年】寒天を使う羊かん完成。

菓子の値段は、長明寺の桜餅が4文。団子も4文。労働賃金換算なら1文が30~50円。まぁ、100円ぐらいで桜餅や団子が食えたんでしょう。幕末近くなると、大工の日当が1100~1500文、そば16文。砂糖一斤(600g)が320文。

こんな時代から続いている菓子屋が東京には10軒ぐらいある。そのうち日本橋近辺の3軒を訪ねて「江戸のあんこ」とはいかなるものであったか取材させてもらった。

あんこ(以下、餡(あん)と表記)は和菓子の基礎で、その店の味を決める重要なファクターだ。各店に、引き継がれた餡づくりがあり、素材選びや工程、やり方にはそれぞれ理由がある。

餡づくりの工程は、小豆(しょうず)を洗って、ゆでこぼし、渋(しぶ)を抜く。その後砂糖を加えて煮詰める。これでつぶ餡(つぶし餡)ができる。こし餡は煮上げた小豆に水を加えて漉す。上澄みと呉(ご)(豆の中身)に分かれる。呉を布袋に入れて搾る。袋に残ったのが生餡。これに砂糖を加えて捏ね上げたのが、こし餡。

原理はシンプルなものである。店ごとに違うのは、渋の抜き方、砂糖の量、煮加減、皮の残し方、柔らかさ、隠し味の塩の有無、量、水飴などを入れるか入れないか。工程が単純なだけに、加減、塩梅という実に表現しづらい部分で競うことになる。

手順を踏めば餡はできるが、思いの餡をつくるには経験と勘、受け継がれた技が必要だ。できるのではなく、つくるのだとなれば、そう簡単ではない。

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塩野 米松