不祥事続きのプロ野球界は本気の再発防止策を打ち出せ

清原の覚せい剤疑惑が最初に表面化したのは、2014年(平成26年)3月の週刊文春による報道だった。警視庁が清原の内偵を始めたのはそのころだという。捜査を担当したのは、歌手のASKAなど芸能人や有名人の麻薬事件を捜査する特命班だった。

ここで私がいいたいのは、週刊誌が報道し、捜査当局が動き出したのに、野球界は何をしていたのか、ということだ。高級官僚が歴代就任するコミッショナーにその気と危機意識があれば、警視庁を通じて報道の信憑性や捜査の進展ぐあいをさぐることもできたはずだ。

そして、この事件の球界への波及や、現役選手に覚せい剤疑惑がないかどうかを調べたか、ということだ。

清原の逮捕後、熊崎勝彦コミッショナーは「元選手とはいえ、野球はとくに青少年の憧れのスポーツの一つ。現役を去ってからも、模範であり続けなければならない。有害行為の禁止、反社会勢力の遮断、薬物の拒絶等、一層施策を強力に推し進めるほかない」とのコメントを発表した。

米大リーグ初代コミッショナー・ランディスは、1919年のワールドシリーズでホワイトソックスの選手8人が八百長を働いたとされるブラックソックス事件の時、選手たちが裁判で無罪になったにもかかわらず永久追放した。

選手たちは大陪審で八百長の事実を認め、情状酌量で無罪判決を受けたが、判事出身のコミッショナーは「大陪審の評決に関係なく、八百長に関与した選手や八百長を知りながら報告を怠った選手はプロ野球でプレーすることは許されない」という断固とした声明を出している。

日本のコミッショナーも、不祥事続きのプロ野球界に本気の再発防止策を打ち出し、コミッショナーの権威と指導力を示すべきだ。

広岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年(昭和7年)、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒。 学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。1954年(昭和29年)、巨人に入団、1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。引退後は評論家活動をへて広島とヤクルトでコーチ。監督としてはヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。指導者としての手腕が高く評価された。1992年(平成4年)に野球殿堂入り。
(写真=時事通信フォト)
【関連記事】
清原和博覚せい剤容疑で逮捕、球界の再発防止策は
サッカー賭博はお咎めなしか、大問題か。その境界線はどこにある
ビジネスモデルに見る「プロ野球再生」の道
なぜ最大の才能が「真面目」なのか
薬物から立ち直るにはどうすればいいのか