日本人ならお馴染みの忠臣蔵。だが、浅野内匠頭がなぜ吉良を斬ったか、という理由は明らかではない。この謎を謎のまま、ストーリーを展開したのが池宮彰一郎の『四十七人の刺客』である。主君が辱めを受けて死んだら、家来は仇を討たなければならない。でも世間は理由を欲しがる。どんな理由なら世間が納得するだろうと大石内蔵助たちが刃傷の理由を考える。吉良が賄賂を要求し、浅野が拒んだことにしたらどうだろう、と。その“情報操作”がうまくいき、現代的な「忠臣蔵」が出来上がったのである。

一方、吉原に新解釈を示したのが隆慶一郎の『吉原御免状』だ。権力に屈しない「道々の輩」「公界の者」と呼ばれる自由民たちと歴史上の有名無名のヒーローが、人間の尊厳を守るために権力に戦いを挑む。中心となるのが自由解放区としての吉原だ。歴史学者・網野善彦の中世史観がベースになっている。

今、文庫本の書き下ろし時代小説が山のように出ているが、その先駆けが峰隆一郎の『人斬り弥介』。増える浪人に頭を悩ませた奉行、大岡越前が、主人公の妻子を人質にとり、浪人斬りをさせる。執筆されたのがバブル全盛期。峰は「世の中に金が溢れているのに、どうして自分は食えないのだろう」という違和感を徳川期の浪人問題を通して描き、シリーズはバブル崩壊後、ベストセラーとなる。

文庫書き下ろしの現在の雄が佐伯泰英であり、『密命』は佐伯が最初に書いた時代小説シリーズである。スペインの現代史を材料にしたミステリーを書いていたが売れ行きが芳しくない。編集者から「次は官能ものか、時代ものか、どちらかでないと本にできない」といわれ、初めて書いた時代小説でもある。父と子、剣客同士の家族の物語で、ベストセラーになるとは当人も予想しなかったという。