IT技術を活用し、新しい金融サービスを生み出す「フィンテック」。2015年10月、経済産業省が研究会を開催するなど急速に注目が集まる。日本におけるフィンテックの旗振り役に、お金の未来を聞いた。

毎日泣いていたアメリカ留学時代

【田原】マネックス在職中に、今度はペンシルベニア大学のウォートン校に留学します。これはなぜ?

マネーフォワード社長 辻庸介氏(東京・港区芝のマネーフォワード本社にて)

【辻】マネックス証券は日興ビーンズ証券と合併して、いったんマネックスビーンズ証券になりました。ただ、名前が長いので、ビーンズを削ってマネックス証券に改称しました。このとき、名前が消える代わりに魂を残そうという話になって、社内にビーンズスカラーシップという留学制度が創設されました。その第1号で、ウォートン校に行かせてもらえることになったのです。ウォートン校は日本であまり知られていませんが、ゼロックスの小林陽太郎さんや、ゴールドマン・サックスの持田昌典さんも輩出しているアメリカ最古のビジネススクールです。

【田原】留学は2度目でしたが、いかがでしたか?

【辻】自ら望んで留学したのですが、人生でもっともつらい2年間だったかもしれません。とにかく苦労したのが英語です。日常会話は何とかなるのですが、授業でディスカッションするとなると、言いたいことが何も言えません。議論に参加できなければチームに貢献できず、存在価値も認めてもらえない。英語はツールにすぎませんが、そのツールを使えない自分が本当に情けなくて、毎日泣いていました。

【田原】でも、辻さんはクラス代表に選ばれることになった。これはどういうことですか。

【辻】いまだに謎です(笑)。あえて理由を探すなら、アメリカ人はチャレンジしている人を応援するからじゃないでしょうか。僕は英語が下手でしたが、少し慣れ始めると下手なりにどんどん意見を言ったり、できないことに挑戦したりしていました。自爆ばっかりでしたが、そういうところを評価してくれたのかも。アメリカは、懐が深いです。