生活保護、高校を辞め、職人の道へ

不動産会社・株式会社NYホーム(愛媛県松山市)の代表取締役・松岡秀夫さん(53歳)の最終学歴は、中卒である。1977年、松山市立雄新中学校卒――。

松岡秀夫・NYホーム社長

「中卒であったことに感謝しています。高校を辞めて、11年間、職人として働きました。その後、勤務した建設会社では、19年間、お世話になりました。この30年間が、自分の礎です。特別の能力も資格もない、中卒の私は辞めても行くところがありませんでした。逃げ道のドアが閉ざされていて、それぞれの職場でがんばるしかなかったのです」

NYホームは、松山市を拠点に、主にアパート・マンションや一戸建て、店舗や事務所、駐車場など賃貸の仲介と管理業をする。2009年、松岡さんが47歳のときに創業し、社員は現在20人。本部のほか、5店舗を構える。

70年、松岡さんが小学2年の頃、両親は離婚した。その後は、父親と2人で生活をする。父は肺の病気のため、十分に働くことができなかった。やむを得ず、生活保護を受給していた。私立新田高校(松山市)に入学したものの、生活がひっ迫し、通学を続けることが難しかった。

母親と生活する姉が高校に迎えに来た。「母親が病で倒れた」と聞かされた。実は、病気ではなかった。姉が母と話し合い、病気であることを口実に、弟である松岡さんを引き取ろうとしたのだ。そのまま、高校を辞めた。77年、15歳のとき、わずか2週間の高校生活だった。松岡さんは、淡々と振り返る。

「この時点では、今後の人生について深く考えてはいませんでした。新しい生活が始まるな、と思ったくらいです。本当は、それではいけないのでしょうね」

半年ほど、母や姉と一緒に生活するが、仕事をするわけでもない。心配した母が、姉の夫(松岡さんの義兄)が営む工務店に働かせてもらえるように頼み込んだ。11年間に及ぶ、職人の人生が始まる。住み込みの寮に入り、大工として仕事をした。1日2000円の日給だった。

慣れないながらも、懸命に働いた。だが、2年半働いた頃、義兄から「辞めたほうがいい」と促がされる。大工には不向き、と判断されたようだ。その後、墓石加工の石工として働き始めた。石を機械で切断したりする仕事をした。