営業を知らない社長が3代続く

渡部には氏家、古賀同様に営業経験がない。戦後、木箱の表に「100万両」と記した貯金箱を配り歩いた野村で営業を知らない社長が3代続くのは特異な事態だ。

渡部は社長就任以来、精力的に全国の支店を回っている。小さな支店の支店長の名前もすべて覚え、小さい支店だからといって素通りすることなく膝を詰めて話を聞くことも忘れなかった。しかし、渡部は営業現場の指揮官ではない。また事業会社の社長、主幹事会社の経営幹部らと会食することが苦手だ。むしろ嫌っているといったほうがいい。

営業幹部は渡部を伴った事業会社社長との会食を何度となくセットしたが、その後営業担当から渡部を誘うことはなくなっていった。なぜなら、渡部は興味のある話はするが、興味がない話にはそっぽを向くこともあり、それで一度先方の社長が怒って帰ったこともあったからだ。

かつて野村の社長といえば、自ら取引先の社長夫人の誕生日に花束を届けたり、会食に招き、座を盛り上げる余興をかって出た。また企業経営者が気づくとそこにはいつも野村の担当者がいた、といわれるほど、かつての野村の営業はしつこく、粘っこかった。前出のように社長以下、幹部の手帳は取引先、主幹事会社幹部との会合、ゴルフの予定で1年先までびっしりと詰まっていた。幹部たちはこれらを当たり前のようにこなしていた。野村の幹部は野村証券イコール“ヘトヘト証券”を体現してきたが、これらを渡部に求めるのは無理なようだ。(文中敬称略)