「馬」に水を飲ませることはできない

(3)哲学することを見守ろう

試験前日の夜中から急に掃除を始めたり、普段はいつまで経っても寝ないのに、試験期間中だけは睡眠たっぷりだという子どもも多い。本人なりに「気分転換」であったり、「睡眠不足は体に悪い」と考えてのことである。

英語の試験前夜、突如、哲学にはまるのもこの年頃の共通点である。

「なぜ、英語が世界共通語なのだ? そんなアメリカ寄りの世界でいいのか?」
「人間は平等でなければならない。なのにひとつの言語だけを優先的に覚えさせることは差別ではないのか?」
「なぜ、日本語が世界共通語にならないのだ? そうだ、俺がそうさせればいいのだ! 今から、俺が、俺こそが日本語を世界共通語にしてやるーーー!!!」

そうグルグルと思考の闇にいる間に単語のひとつでも覚えろよ! というのは哲学しなくなった大人の浅知恵だ。人間はこういう「哲学」を延々とやって、納得して「大人になる」のである。

止めてはいけない。

(4)本当にやばくなったら、あちらからご報告がくる

日本はとても良い国で学生時代は何をしても大抵のことは「大目に見てもらえる」システムになっている。

成績が悪かろうが学校をさぼろうが、提出物を頑なに出さないという信念を見せたとしても、学校は簡単には子どもを見捨てない。

子どもにイエローカードを何枚も突き付けて、自発的な最低限の「やる気」を促し続けているのが実態である。なので親は不安にかられて先走ってはいけない。

親が自分の不安を解消しようとして力づくで補習塾や家庭教師を付けたとしても本人にやる気が見られない以上はそのすべてが徒労に終わるだろう。

馬を水辺に連れて行くことはできても、その馬に水を飲ませることはできないのだ。その馬の口の前に「水が嫌なら牛乳にする? オレンジジュースがいい? それとも?」とドリンクバーのごとく水分を差し出すことは馬にとって迷惑以外の何物でもない。

人も自分が飲もうと思わない限りは飲めないということを認識しよう。

喉がカラカラに乾いたとわが子が思うまでは親はじっと水辺で待機する以外ないのである。親がその時を「待てる」か「否か」で明暗は分かれるだろう。

学校からご報告がないのは「良い印」として、親自ら「パンドラの箱」を開けるような愚行は慎む方が子どもがこの暗黒時代を抜けやすくなる。