自主的な学びを育てていくことが主眼

【三宅】学習塾は海外にも展開され、その後、NPOの教育支援協会の仕事をされるようになりましたね。その経緯をお聞かせください。

【吉田】私たちの塾は横浜にありましたので、帰国子女がたくさんいたために、この問題に関心を持ちました。そのために、香港から始まってニューヨークやロンドンなんかにも教室を開設し、教室が国内で20ぐらい、海外で8つを超え始めると、全部の面倒は見られません。しかも、そのうちに学習塾の乱立で過剰サービス合戦になってくる。すると、うちのスタッフが子どもたちの中間・期末試験対策もプリントなどをつくり、手取り足取り。本当は子どもたちの実力は上がっていないのに、表面的な点が取れてしまう。高校、大学にも入れるわけです。ところが、それはグライダーみたいなものです。つまり塾教師が引っ張っている間は飛びますけど、放した瞬間に墜落してしまう。

私が「これは詐欺的だからやめろ」と言っても、経営陣にいろんな人が入ってきますし、うちも株式上場という話もあり、有名校への合格実績が優先されてしまう。当時の経営陣の会議でも、「あなた方は本当に教育をやりたいのか、金儲けしたいのか、どっちなんや?」みたいな話になり、私は学習塾の経営から96年に手を引きました。

それと95年、阪神・淡路大震災がありましたでしょう。あのとき、私は中学・高校と神戸で、友達が神戸にたくさんいて、両親も被災しましたのですぐに帰郷しました。そこの避難所に来ていたのがスウェーデンのNPOの方々で、彼らと話をしていて、NPOの可能性に気づいたわけです。そこで、当時つきあいがあった国会議員の人たちにも相談しました。結果、議員立法で成立したのが「特定非営利活動促進法」、いわゆる「NPO法」です。

【三宅】そして教育支援協会は先生が中心になって立ち上げた。そこでは、どのような活動をしたのですか。

【吉田】そのときのテーマが放課後からの教育改革。学校制度を変えるのはなかなか難しい。しかしながら子どもというのは、1年365日、約8000時間のうち学校生活の時間というのは2000時間ぐらいなんです。それに加えて、塾の1200~1300時間がある。ここの過ごし方を変えたいと思ったのです。目標としては、「自ら学ぶ人間」をつくるという、私が最初に塾をつくったときの原点みたいなものです。

要は、子どもたちには「習う時間」と「学ぶ時間」というのが必要なんです。協会では、学ぶ時間を作りだそうということで、放課後とか長期の休みを利用した教育事業に乗りだそうとしました。当時、“留守家庭”の子どものために学童保育もありましたが、単に預かるだけではいけない。そこで文部科学省が地域子ども教室を始めるわけです。そこに着目して、全児童対策の教育事業をするためにNPOとしてスタートしたのが教育支援協会ですね。

【三宅】実際に子どもが来て自主的に勉強するのですか。

【吉田】もちろん、サポーターがつきますけど基本的には自主学習です。ただし、自分だけではなかなかできないとか、興味関心が湧かないっていうことがあるといけないので、プログラムを用意しています。選択式にして、面白サイエンスという理科の実験だとか、放課後イングリッシュなどです。あと、算数と国語の勉強の「シェルパ」というプログラムがあります。これは山登り学習と呼んでいますが、教科の構造図表があって「お前さんは今、ここにいるよ。これからはこうしたことを学ぶんだよ」と。

例えば、ある観光地に行って自分で地図を見ながら歩けばその街のことはわかりますが、バスに乗せられて連れ回されると、その街がどうだったかわからない。地図を渡して、自分の足で探索する。発足当初から、そのように自主的な学びを育てていくことを主眼に活動を進めてきました。

(岡村繁雄=構成 澁谷高晴=撮影)
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