工業高校から研究員、再び学生に

「高い学歴を身につけていたとしても、会社員として長く働きたいとは思わなかったでしょうね。一時期、私立大学の通信教育部に入学したのですが、仕事が忙しく、辞めてしまいました。学歴は、社会で活かすことができないと、意味がないと思います」

海事代理士の松本誠さん。東京工業専門学校卒。

海事代理士の松本誠さん(43)は高校を卒業後、20種類以上の仕事をして、独立を果たした。現在は関内駅(横浜市)のそばにオフィスを構え、スタッフも雇う。

これまでに、郵便局の配達、ハンバーガーショップやコンビニエンスストア、居酒屋の店員、放射線の研究施設での研究員、バーテンダー、雑誌などの製本、交通調査員、野菜の仕分け、フランス料理やイタリアン料理の調理師、カフェの店員、さらに大手IT系の会社や大手不動産会社にも勤務した。あるときはアルバイト、あるときは契約社員や派遣社員、さらには正社員として働いた。

「たくさんの人を見ましたが、学歴のある人=仕事ができる人と言いきることはできないと思いますね」

海事代理士は、「海の法律家」と呼ばれる。船の海事許認可手続や、船舶の登記(所有権保存・移転、抵当権設定等)や登録、さらに船舶の売買やそれにともなう契約、船舶検査・船員労務などの相談にも応じる。国土交通省の海事代理士試験に合格し、海事代理士として登録することが必要となる。

松本さんは1988年、茨城県の県立勝田工業高校(電子機械科)に入学した。小学生の頃からパソコンが好きで、在学中はプログラムを組むことに熱心に取り組んだ。就職活動は、スムーズに進んだ。当時は、バブル期で景気がよかった。高校への求人は、1000件は超えていたという。

「すぐに内定をいただきましたから、学歴について何かを感じることはありませんでした。ハンデどころか、ものすごく有利と思ったくらいです」

91年、18歳で茨城県の放射線の研究施設に研究員として就職した。正社員数は約50人。大手企業の関連会社であり、賃金をはじめ、労働環境は整っていた。しかし、2年で退職した。

「自分が本当にしたい仕事なのだろうか、と考えるようになったのです。辞表を出したときは、はじめての経験ですから緊張しました。未練もありましたが、次のステップに進むことができる期待感のほうが大きかったですね」