早稲田大法学部から「オリックス」へ

「学校を卒業した後、どのような仕事をしてきて、どういう知識やスキルなどを身に付けているのか。学歴は、そのような職歴の1つの情報にすぎないと思います。ビジネスをするうえでは卒業後のキャリアのほうが、はるかに重要な意味を持ちます」

オリックスのコンセッション事業推進部の三浦覚さん。早稲田大学法学部卒。

オリックスのコンセッション事業推進部の三浦覚さん(50)が語る。昨年末に契約締結した関西・伊丹両空港の運営権譲り受けなどの「コンセッション事業」を手がける部署に勤務する。

1988年、早稲田大学法学部を卒業し、オリエント・リース(現オリックス)に入社した。営業の最前線から始まり、主に社長室や業務改革室などでキャリアを積んできた。日本経済研究センター、経済同友会、内閣府規制改革推進室などにも出向した。

就職活動のときは、好景気の真っ只中だった。本命は、当時、大手金融機関を志望する学生が憧れた日本長期信用銀行、日本債券信用銀銀行、日本興業銀行の3行。

「産業金融に関わりたかったから、受験をしました。早稲田の法学部卒、ということで就職活動が有利に進んだとはあまり感じませんでした。当時、石を投げれば早稲田(の学生)に当たる、と言われていたほどのマンモス大学でした。私のような学生は、長信銀3行を受ける中にはたくさんいたのでしょうね」

3行の内定を得ることはできなかった。就職活動のピークは過ぎつつあった。だが、焦ることはなかったという。早いうちに、大手メーカーなど数社から内定を得る。

もっとも魅力を感じたオリエント・リースに入社した。社員数はすでに3000人を超えていたが、知名度は現在のようなものではなかった。プロ野球の球団・阪急ブレーブスを買収し、「オリックス」と社名変更する前の時期である。

「本格的な大企業というよりは、創業20年以上経ち、ベンチャー企業が大きくなった頃という感じでした。リースという仕事を通じて、産業金融などに関わることができると思ったのです」

総合職の同期生は大卒50人ほどで、早稲田卒は3人。国立、私立とバランスよく採用していたという。最初に配属されたのが宇都宮支店(栃木県)で、営業を担当した。

「出身大学により、勤務地や部署などを決めたという印象は持ちませんでした。当時も今も、本社に勤務する社員が地方支店にいる社員よりも、人事の扱いが上という考えは、当社にはないのです。本社でもそれぞれの部署の扱いは同じです。また、特定の部署にいる社員の扱いがほかの部署よりも上で、昇格が速くなるということもありません。成功コースというものはないのです」