【田原】3年でそこまでいけば立派じゃないですか。

【佐藤】でも、疑問を感じたんですよね。このまま日本でやっていてもダメだなって。日本は縮小しているし、出る杭は打たれてしまう。やっぱり世界中でできるビジネスがいいと思って、中国とアメリカにネタ探しに行きました。起業家と投資家合わせて20人くらいに会ったかな。そこで未来の社会やテクノロジーについて、いろいろ話を聞きました。

【田原】何かヒントはつかめましたか。

【佐藤】はい。この10年でもっとも大きな変革と感じたのがスマートフォンです。2010年当時は日本でまだそれほど普及していなかったのですが、いずれこの小さなコンピュータで、お金や情報などすべてのものが管理される時代になると感じました。それまで私はガラケー向けのビジネスもやっていたのですが、事業を売却して1億円をつくり、シンガポールで新たにスマートフォン向けビジネスを展開しました。

【田原】どうしてシンガポールで?

【佐藤】理由は2つあります。1つはアジアでやりたかったから。シリコンバレーの投資家たちは、口を合わせたように「世界で勝負したいならシリコンバレーに住まないとダメ」といいます。でも、それは違うと思った。たしかにPCの時代はシリコンバレーがインターネットの中心でしたが、スマートフォン普及後は、中心が中国やインドといったアジアに移る。ただ、中国は政治リスクがあって行きにくいですよね。そこでシンガポールを選びました。

【田原】もう1つの理由は?

【佐藤】シンガポールは外資の誘致に熱心で、金融やテクロノジーを重要視していました。当時、日本のスマートフォン普及率は5%くらいでしたが、シンガポールは80%あった。国民が500万人くらいなのでマーケットとしては小さいですが、新しい事業をテストするには最適の国でした。外資系企業は税制でも優遇されていて、税金が安かったことも魅力でした。