取材がはじまると、井上篤夫はおもむろに1本のカセットテープを取り出した。それは、彼が1987年に孫正義を4時間にわたってインタビューしたときのものだった。再生のボタンを押すと、30歳の孫の若々しい声が流れ出す。なかでも耳をとらえたのは「僕はナンバー1になるんです!」という一節だった。

「当時から孫さんは、口癖のようにそう言っていました。まだ日本ソフトバンクという社名の頃で、パソコンソフトの卸売りと雑誌の出版が主な業務だったはず。それなのに、いずれ自分たちがナンバー1を狙うべき分野や業種、その将来性などについて理路整然と熱っぽく語るのです。そんな彼の全身からはオーラが発せられていたように見えました」

これが1987年、孫正義に初インタビューしたときのテープ。「僕はナンバー1にならないと嫌なんです」と、繰り返し語ったのが印象的という。

実は、井上が長年の取材を通して強いオーラを感じたのは、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツとCNN元会長のテッド・ターナー、そして孫の3人だけだという。それが、井上の創作意欲を刺激し、20数年に及ぶ取材につながっていく。日本国内はもちろん、孫が青春の日々を過ごしたアメリカにも幾度となく足を運び、ゆかりの人々を訪ねている。

「私自身もボストンに住んでいたことがあるのでわかりますが、孫さんはアメリカが大好きなんです。彼は『僕をつくってくれたのはバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)。ほとんどすべてのことをバークレーで学んだといってもいいかもしれない』と語ってくれました」

作家としての井上の取材スタンスは、事業家・孫正義と「節度ある距離」を保ちつつ見続けることだ。

「確か2000年だったと思います。ラスベガスで開かれたコンピュータの見本市『コムデックス』に同行したことがありました。広い会場を孫さんと一緒のクルマで移動したのですが、そのとき彼が『あぁ、いいなあ。アメリカに来るとワクワクしますよ』とポツリと言ったんです。日本からアメリカに来ると、血湧き肉躍るんでしょう。『おーっ、やるぞと元気になる。だから僕はアメリカが好きなんです』と。私には、その姿がとても印象に残っています」