Joe Sample

1939年、テキサス州ヒューストン生まれ。79年にアルバム「ストリート・ライフ」でクロスオーバー/フュージョン・シーンを席巻したザ・クルセイダーズ(88年に解散)のリーダー的存在。繊細で表情豊か、優美なピアノ・サウンドにファンが多い。2008年にはジョー・サンプル&ランディ・クロフォード名義で「リスペクト・ユアセルフ」をリリース、R&Bからジャズ、ポップスまでを独自の世界に昇華した音楽が人々を魅了する。


 

第一次世界大戦が終わったころ、ニューオリンズとロサンゼルス間を結ぶ長距離列車「サンセット・リミテッド」の食堂車で、私の父親は最高級のクレオール料理のコックをしていました。私が味覚に自信があるのは、父のスペシャル料理を幼いころから食べていたからです。

子供のころを思い出すと、ひどいことばかり。まだクルマが普及していなかったので交通標識も「止まれ」のサインもみんなよくわかっていない。向こう見ずな若い連中が、両サイドから好きなだけスピードを出すものだから、交差点で頻繁にクラッシュする。牡蠣の殻が砕けたとき、もうもうと白い粉みたいな煙が出るでしょう。あんなのが辺り一面を覆いつくすのです。ケガ人どころか死んでしまう人もでてきて……。

日本でもいろんな経験をしました。1966年に初めて日本に来た私は、レコード会社の人に連れられ、ホテルの最上階の会席料理へ連れていかれました。お店に入った途端に靴を脱げと言われ、部屋ではずっと「正座」をしろっていうんです。「正座」なんて生まれてこのかたしたことがないのに。どの料理も小さい皿に載っていて、箸を持たされる。ある皿には魚の目玉らしきものまで。日本の皆さんに失礼になってはいけないと、覚悟を決めて片っ端から食べました。その経験を乗り越えたお陰で、自分に食べられないものはもうないと思っています(笑)。

あのころの日本人は、みんな着物を着ていました。バーやレストランに行くと、壁一面に何百枚ものレコードが並んでいて、しかもそのレコードの多くがジャズだったことにとても驚いたのです。聴衆がみな気難しそうな顔をして、うつむき加減にジャズを無言で聴いていることにもびっくり。この国の人たちは音楽に対して非常に強い愛情をもっていることがわかって、うれしかったことを覚えています。以来、何十回と日本に来るようになりました。

来日の際に必ず訪れるのが、私の名前を冠してくれた「ル・サンプル」。オーナー・シェフのコー(菊池晃一郎氏)とは91年からの知り合いです。あのときコーはロサンゼルスの小さなお店で働いていた。(ドリカムの)吉田美和さんとも一緒にその店へ行ったことがあります。店の雰囲気も出てくる料理もすべてパーフェクト。連れていく人はみんな、彼の料理と恋に落ちてしまいます。コーには今でも自宅で開く特別なパーティへ料理を作りにきてもらっています。「ル・マンジュ・トゥー」のノボル(谷昇氏)も一緒に。彼もスペシャルなシェフです。

料理も音楽もきっと一緒。理論や勉強だけではなく、リラックスして自分のさまざまな感情を注入できれば、鮮やかに輝き始めるのです。