【飯島】私が小泉純一郎総理の首席秘書官だった当時、新谷さんはまだ編集長ではなかったのですが、めちゃくちゃに書かれたことがありました。事実と違うことを書かれて、私も頭にきたので名誉毀損で訴えたのです。裁判に毎回来て必死でメモをとる姿が目に焼きついています。新谷さんのすごいところは、この裁判で負けて相当腹が立っているのかと思ったら、編集長に就任して、私に文春での連載を頼みに来たことです。

【花田】それでこそ本物の編集者です。

飯島勲氏(写真=時事通信フォト)

【飯島】新谷さんに「プレジデントの連載は、政治から文化まで多岐にわたっている。そのうちの1つでいいから、文春でお願いできないか」と言われて、最初はお断りしようと考えていたのですが、引き受けた。ああいう人が暴れまわっていると、これからの出版界も元気になるかもしれない。とはいえ、連載を引き受けたおかげで、ネタ不足で地獄の苦しみを、今、味わっている……。

【花田】政治家もずいぶん小粒になりましたよね。55年体制と呼ばれていた自民党と社会党の時代には、存在感のある派閥の領袖が命懸けの権力闘争を繰り広げていた。あの頃の選挙の立会演説会は面白かった。

【飯島】選挙制度も小選挙区ではなく、中選挙区でした。候補者が下駄をはいてきて、別の候補者が話しているときにガタガタ鳴らして聞こえないように妨害することもあったり(笑)。そんな中で、みんな堂々と自分の選挙公約を披歴していた。

【花田】かつて派閥はすごく批判されていましたが、小選挙区制になって派閥の効用が見直されている。派閥にいてこそできる政治家としての勉強ができなくなった。ただの緩やかなグループになってしまって、お金や選挙の面倒を見るわけでもないし、それこそお友達みたいな感じで集まっているだけ。だから今の野党のように離合集散が激しくなる。

【飯島】人材育成としての派閥制度は、完全になくなりましたね。

【花田】草履取りから始まってだんだん勉強して上がっていくというあのシステムは非常に手堅いものでした。今ではまともな政策論議も聞こえてきません。