パナソニック役員、ジャズピアニスト
小川理子さん

1986年、慶應義塾大学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)入社。音響研究所、事業推進本部で音響機器の企画、研究開発などを担当。2014年5月よりアプライアンス社ホームエンターテインメント事業部でオーディオ成長戦略を担当。同年12月テクニクス事業推進室長に就任。15年4月、パナソニック役員に就任。現在までに自主制作含めて14枚のCDをリリース。公職として、日本室内楽振興財団理事、大阪フィルハーモニー協会理事、パシフィック・ミュージック・フェスティバル組織委員会理事ほかを歴任。
 

3歳からクラシックピアノを習っていたのですが、就職してからは仕事が忙しくて音楽から遠ざかっていました。もっとも音響研究所というところでエンジニアとしてオーディオを開発していたので、ずっと音楽とつながっていたとは言えるかもしれません。

入社して7年目のそんなある日、私の参画していたプロジェクトが解散することになってしまいました。落ち込んでいた私に「一緒に音楽をやって元気を出そう」と声をかけてくれたのが、当時の上司です。その上司は仕事をしながらニューオリンズジャズのドラマーとしても活躍していた人。アマチュアですがニューオリンズの名誉市民でもある世界的な演奏者です。私はずっとクラシックを習っていましたが、ジャズ好きの父が家で毎晩レコードをかけるのを聴きながら育ったので、自分もジャズが好きになり、大学でも同好会に入っていました。そこでその上司から指導を受けつつジャズの世界に足を踏み入れて以来、今日に至っています。

その上司の住まいが芦屋にあり、地下にある練習スタジオで私も一緒に練習させてもらっていました。それで芦屋界隈にはよく来ていたので、この「Left Alone」にもお邪魔するようになったんです。最初は聴くだけでしたが、やがてママのたづ子さんに「じゃあ、今度は演奏してみない?」と声をかけていただき、年に何回か演奏させてもらうようになりました。

「仕事と音楽の両立は大変なんじゃない?」「会社はそういう社外活動をすんなり認めてくれたの?」とよく聞かれます。会社勤めのかたわら音楽活動をすることについては、ラッキーなことに「本業に支障がなければどんどんがんばりなさい」と言ってもらっています。「人間は一人ひとり違ってあたりまえ。それぞれの個性を生かしていくことで、会社全体が発展していく」という松下幸之助の考え方があるからかもしれません。

また音響機器の開発には、音楽そのものを理解しているかどうかがすごく影響します。今、私は復活した「テクニクス」というオーディオブランドの仕事をしていますし、社会貢献の部署にいたころはチャリティコンサートにも多数出演しました。

今は音楽と仕事が自然に融合している状態。演奏会の前は朝5時起きで練習するなど体力も気力もいりますが、好きなことだから、がんばれるのでしょうね。