【飯島】政治の世界では「政治部の記者は信用できるが、社会部や週刊誌には気を付けろ」と言われています。政治部にはオフレコが通用するが、ほかではできないということなのですが、これは変な話です。

【花田】週刊誌がよくやる「オフレコを全部ばらす」という記事は、新聞記者からの情報で成り立っています。新聞記者は自分の新聞にはオフレコだから書けないけど、知り合いの週刊誌の記者とかに流して書かせる。

本来はオフレコなしであるべきですね。やむをえない場合もあるとは思いますが、基本的にオフレコはないほうがいい。

【飯島】オフレコは報じないという約束があったとしても、オフレコ部分にも政治家は責任を持つべきだと思うし、そもそも政治家や記者には発言が「オフレコメモ」として出回ってしまう。国民にだけそれが隠されるというのは理解できない。だから、私は「小泉純一郎にオフレコなし」というスタンスを当選1回のときから貫いた。話したことは何でも書いていい、書かれたくないことは言わないと決めてやってきた。総理大臣になっても変えませんでしたね。花田さんはどんな視点で政治記事をつくってこられたのですか?

【花田】読者が判断する材料として、クレディビリティー(信頼性)は新聞にあるといわれますが、本当でしょうか。先ほども言いましたが、日本の新聞のスタンスは「ほめない、反省しない、謝らない」で一貫しています。だから別のこんな見方もあるのではないかと提示するのが私たち雑誌の役目だと思っています。朝日新聞が憎くて朝日たたきをやっているわけではなくて、日本の新聞の代表として、朝日のこういう点が疑問だということを書いて、読者のヒントにしてもらう。