バブルは旧体制の強烈なあがきだった

流れの渦中に身を置くと、往々にして潮目の変化に気づくことは難しい。バブル経済崩壊後の「失われた10年」といわれた空白の期間が15年になり、20年、25年となった。この間、世界経済は変化し続けており、手をこまねいた日本経済は地盤沈下し続けている。

1940年生まれの著者は、自分史と戦後史を重ねながら70年間の日本経済の歩みをたどっていく。大蔵省官僚、経済学者としてリアルタイムで日本経済をウォッチしてきた氏の視点は、通説と一線を画する。

『戦後経済史』野口悠紀雄著 東洋経済新報社

「戦後の民主主義改革が日本経済の復興をもたらし、戦後に誕生した企業が高度成長を実現した」とする捉え方に対して、著者は異を唱える。

1940年、給与所得への源泉徴収制度の導入で戦費調達のためのシステムが確立し、戦争遂行を目的とした経済システムが戦後も温存され、敗戦からの復興、高度成長期にかけて大いに機能した。企業別労働組合も同じく1940年体制によるもので、労使協調が日本の強みとなった。

1940年の戦時体制が戦後も温存され、不足する資源・資金を石炭、鉄鋼などの基幹産業に重点的に配分する傾斜生産方式によって戦後の復興を成し遂げ、続いて高度成長を実現し、さらにはオイルショックも乗り切った。

ところが、世界的な市場経済の拡大とともに従来型システムが機能不全に陥ってくる。そのタイミングで訪れたバブル経済は、1940年体制の強烈なあがきだった。金融債発行で調達した資金で長期融資を行う長期信用銀行は、すでにその存在意義を失いつつあった。行き場を失った資金を土地融資に振り向け、膨大な不良債権を積み上げた挙句、市場からの退場を余儀なくされたのである。