「そんな非科学的なことを」と笑う人がいるかもしれませんが、神社仏閣・教会などの霊的なセンターがない地域、霊的な防御の弱い地域では、あきらかに人間の生きる力は弱まります。自殺率は高くなるし、カルトも広まりやすいし、家庭内でのいさかいも増えるし、子供の学力も下がる。「微(かす)かなシグナルを聴き取る力」が衰えれば当然そうなります。日頃から身の回りの「畏れるべきもの」に礼を尽くし、それからのメッセージに耳を傾ける習慣を持たなければ、コミュニケーション能力が劣化するのは当たり前です。それが「礼を失する」ということの本義です。

この世界には「人知の及ばぬ境域が存在する」ということをわきまえること、それが「教養」の第1歩です。神社仏閣の前を通ったとき、親が足を止めて遥拝(ようはい)するだけで、そうした感性は子供たちのうちに自然に養われます。はじめは動作を真似(まね)しているだけでも、そのうち「どうもこの場所は雰囲気が違う」「手を合わせると体感が変わる」ということが、子供たちにもわかってきます。

六芸の第二は「楽」、つまり音楽です。考えればわかりますが、今この瞬間に鳴っている単独音というものは実は存在しません。音楽というのは「もう聴こえなくなった音」がまだ聴こえ、「まだ聴こえない音」をすでに聴く能力があってはじめてメロディーもリズムも感知される。過去を引き留め、未来を先取りする力がなければ、音楽は存在しない。「今ここには存在しない音」を聴く力がなければ音楽は聴くことも演奏することもできません。孔子自身は琴を弾じましたが、子供の時から楽器を演奏し、音楽を聴くことは「この世ならざるもの」に接近するための正統的な道筋なのです。