コモ市にある世界一の絹織物産業クラスター

イタリアといえば早くから近代工業化が進んだ北部(第1のイタリア)と、依然として農業中心の南部(第2のイタリア)の経済格差で知られているが、もう一つ、「第3のイタリア」と呼ばれるエリアがある。ヴェネツィア、ボローニャ、フィレンツェなどの都市があるイタリア北東部から中部にかけての地域で、イタリアの地場産業が集中している。皮革製品、家具・木工品、繊維、眼鏡、セラミックタイルなどの伝統工芸、包装機械などの機械工業を中心とした産地および産業集積地だ。今回の視察ではそうした産地の地方都市を見て回った。

イタリアには約1500の国際競争力を持った地方都市がある、と言われている。人口数千人の都市もあれば、数万人規模の都市もあるのだが、それぞれの市のレベルで産業政策に取り組んで、生き残りを図っている。多くの地方都市に共通するのは「手広く」ではなく、「世界で1位」のものを1つだけ集中的につくっていることだ。そうすることによって市場(顧客)と直接会話できるし、価格決定力も維持できるからだ。

たとえばミラノの北にあるコモという都市は絹織物の産地として名高い。昔は養蚕業も盛んだったが壊滅してしまって、今は中国などから絹糸や原料布を輸入している。コモには絹織物に関連した会社が約600社ある。多くはファミリー経営の小さな会社だが、それぞれが細かなノウハウを持っていて、絹織物をつくる全工程を機能分担している。それを束ねているのが日本でいえば商工会議所のような地元の工業会で、マーケティングから後継者育成まで、そこが責任を持って行っている。持ち込まれてくる相談や注文の窓口にもなっていて、エルメスやセリーヌのようなブランドから「こういう製品をつくってほしい」というオーダーがあると、必要な技術を持った会社をコーディネートして、最終製品までの開発を請け負うのだ。

600社が有機的につながって、あらゆるオーダーにタイムリーに応える。こんなクラスター(産業集積)は世界を見渡してもコモ以外に残っていない。絹の原産国の中国がいくら真似しても、日本の技術力をもってしても、コモのシルクのクオリティやデザイン性は超えられない。日本も明治時代には絹織物の輸出で外貨を稼いだが、このようなクラスターがなかったために絹糸の競争力を失った途端、産業そのものが衰退した。

このような競争力を維持するための仕掛けがイタリア中にあって、世界的な競争力がある産業クラスターを形成できた地方都市はしっかり生き残っている。たとえ一部の生産を海外にシフトしていても、国内でデザインや最終加工を維持して、「メイド・イン・イタリー」の付加価値を国内に残しているのだ。