中学受験すること自体に意味がある

「第2志望でも納得できないという病」を予防する一番の方法は、結果はどうであれ、中学受験をすること自体に意味があると考えることだ。

中学受験を終えたばかりのある母親は次のように話してくれた。

「ずっと受験勉強をさせてきたのだけれど、いざ受験本番が近づいてくるとやはり不安になった。しかし小学6年生の冬、いよいよ大詰めというころ、誰に言われるでもなく自分から机に向かい、目の色を変えてがんばる息子の姿を見たとき、息子の成長を感じた。目標のために自ら机に向かうようになるなんて、『ずいぶん成長したなぁ』と感慨深かった。その時点で中学受験をして良かったと本気で思えた。合否が怖くなくなった」

これが「たとえ全滅しても『やって良かった』と思える境地」である。子どもが第1志望まっしぐらにがんばるのはいい。高望みだってどんどんすればいい。しかし、親まで合格という結果ばかりを見ていると、今、目の前で努力する子どもの成長に気づけなくなる。

小学4年生で、塾に通い始め、小学校では習ったことのないような難問にもあきらめずに取り組むようになる。テストの結果に一喜一憂し、「次はもっとがんばるぞ!」などと目標を立てたりするようになる。親の期待だってひしひと感じている。「親を喜ばせたい」という気持ちも当然持っている。しかし、親が「結果がすべて」と思っていたら、これらの成長は合格という形でしか報われない。

「今、ここ」での子どもの努力と成長に目を向け、励ますことを、中学受験を志す子の親は忘れてはいけない。それを忘れなければ、「中学受験という選択」をすることができたこと自体に感謝の気持ちが湧いてくる。先述の母親の言葉通り、「合否が怖くなくなる」。ありのままの子どもを受け入れられるようになる。それが、「中学受験という選択」の最大の効能だと私は考えている。

「第2志望合格ならまだいい。第3志望もダメ、第4志望もダメとなったらどう考えればいいのか」という指摘もあるだろう。これにはちょっとしたコツがある。