日本では最近になって、近代的なスーパーやコンビニがそれら商店街や小売市場を圧倒して、苦戦する商店街も少なくないが、あちらでは日常生活においてまだまだ小商店の地位は高い。出店する場所がないため、テントの中どころか、露天で地べたに座って1枚の板の上に商品を広げる商人たちも少なくない。日本でも、今では縁日かイベントのときくらいしか目にすることはない露天商売が、人でにぎわう都心においてふつうのときに見ることができる。

そうした商店の多くは、同じように夫婦で経営している。見た目もそうだが、実際、韓国(ソウルと釜山)、台湾(台北)、中国(上海、大連、温州)で、そうした町の商人相手に大量サンプルによる質問表調査を行ったところ、日本と同じで夫婦での経営がもっぱらであった。働き方も同じで、男性はもっぱら店の外で仕入れなどに従事し、女性は店の中でもっぱら接客する。「男は外、女は内」の論理は共通だ。

こういう小商人の姿は、われわれ東アジアに住む者には馴染んだ姿だが、目を世界に向けるとあまり見ない姿なのである。アメリカでは、こうした小さい商店は今では限られている。小さい商店がなくなったから家族で働く姿が見られないのか、それとも家族で働くという文化の影が薄いから小商店がなくなったのか、鶏と卵のような関係で判断は難しい。たぶんその両方が作用したのだろう。

何十年か前に小商店について世界の家族従業を調べたレポートが出た。それに拠れば、家族従業という制度が残っているのは西欧ではイタリアとフランスくらいしかなかった。イギリスやアメリカといった国では、その時点ですでに、家族従業という雇用形態は数字には表れないくらいに小さいものであった。アングロサクソンの国は、どうも家族が家族のために無給で働くという文化は乏しいようである。

そういうわけで、夫婦で働くという文化・制度は、現在ではかなり限られた地域、文化圏に属していることがわかる。東アジア諸国は、その代表となる。