それを見ながら、1年前のパリバショックを思い出していたのは、学者商売の因果であろうか。そして私は、10年ほど前、日本がバブル崩壊後の金融危機で悩んでいる頃にロンドンの国際シンポジウムでイギリス人コメンテーターから聞いた言葉も思い出していた。「他人の不幸は、自分の幸せ。これまで好調だった日本が今は苦境にあることを、多くのイギリス人は案外喜んでいる部分もありそうだ」。

中国の人々は、この開幕式典を大きな誇りととともに見たのだろう。しかも、大きなトラブルに見舞われ始めた米国を尻目に、中国がこれだけのイベントを、これだけ見事にやってのけるのである。愛国心と国への誇りが高揚することは、想像に難くない。

北京五輪からの報道は、アテネ五輪のときのようなさまざまな運営上のトラブルに関するものがほとんどない。たしかに、新疆ウイグル自治区ではテロの報道もあるが、局所的である。そのうえ、私は五輪直前の四川からのテレビ報道に驚かされた。四川大地震の被災者たちが日本のテレビのインタビューで、「五輪など関係ない。あんなことにカネを使うくらいなら、地震の被害者にカネを使ってほしい」と明らかに北京政府の批判ととれる発言をしていたのである。それだけの自由があるのだ。

開幕式当日、上海株式市場は大きく下げた。北京五輪後の中国経済の混乱の予想からだという。私も、北京五輪までは中国経済は意地でも持ちこたえるが、その後大きな構造調整がくるだろう、と予想していた。しかしその予想を、開幕式イベントの見事さと四川からの報道で、変える必要があるか、と思い始めた。たしかに、構造調整はあるだろう。しかし、その規模は案外小さく、少なくとも10年の上海万博までは走り続けるだろう。そして、国内経済のひずみに対する構造調整も、案外うまくいくのではないか。