ナイトマーケットの発見とドンキ創業

――78年、29歳のときに一念発起して、ドン・キホーテの前身であり、その原点ともなった18坪のディスカウント雑貨店「泥棒市場」を創業した。

【安田】「泥棒市場」を創業したのはいいが、個人の素人商法が簡単に通用するはずもなく、すぐに追い詰められた。売れたのは開業して3日間だけで、その後はまったく鳴かず飛ばず。1日の売り上げが2000円、3000円という日もあった。「売れないから現金が入らず仕入れができない、仕入れができないからさらに売れない」というお決まりの悪循環に陥り、文字通りの崖っぷち、夜逃げ寸前まできた。

結局、サンプル品や廃番品などを格安で分けてもらう非正規の独自仕入れルートを必死に開拓して、起死回生を図った。ある日、深夜遅くまで1人で商品の陳列をしていたら、営業中と勘違いした客が立ち寄って、商品をごちゃごちゃ陳列した店内を面白がってたくさん買ってくれた。これが「ナイトマーケット」という鉱脈を掘り当てるきっかけとなった。その後、泥棒市場を「深夜まで営業するハチャメチャな繁盛店」に育て上げていった。商品をジャングルのように積み上げる圧縮陳列、深夜営業というドンキ独自のスタイルの原型は、この頃に出来上がった。

《泥棒市場は成功したが、安田氏は同店を他人に売却して卸売業に転じる。そこでも大きな成功を収めたが、89年に再び小売業に参入した。東京・府中市にオープンしたドン・キホーテ1号店だ。「泥棒市場で掴んだ独自の成功ノウハウを、もう一度小売業で大きく花開かせたかったから」(安田氏)だ。》

――屋号を「ドン・キホーテ」とする発想は、飛びぬけて個性的だ。インパクトがあるから、客が期待する。

【安田】スペインの作家・セルバンテスが著した小説『ドン・キホーテ』から取った。小説の主人公、ドン・キホーテは理想を唱えてそれに邁進する。「思い切ったチャレンジャー」の代名詞であり象徴だ。

「ドン・キホーテ」という屋号をつけたのは、私なりの決意表明だった。「どんなに苦しくても、大手チェーンストアのマネだけは絶対にしないぞ」と。さすがにその名を冠したら、途中で日和りたくても日和れない。そうやって自らに縛りをかけ、誰もやらない独自の業態創造を愚直にやり続けてきた。