私は勇退に先駆けて、11年に当社初となる本格的な企業理念集『源流』を書き上げた。ここには、ドン・キホーテのミッションや理想とするもの、社員の倫理規定や行動規範が網羅されている。そしてこの4年間、私は社内で『源流』の啓蒙・研修活動に取り組んできた。この『源流』イズムがようやく社内に浸透してきて、何とか当社が目指す「ビジョナリーカンパニー」への第一歩を踏み出すことができた。

ビジョナリーカンパニーの要諦は、「カリスマ経営者を必要としない、明確なビジョンと理念に裏づけられたチーム経営」という点にある。私が勇退したあと、ドン・キホーテを「カリスマ不要の経営」ができる会社にしたかった。これが実現できる目途がついたのが、勇退を決断するうえでの、大きな弾みになった。

《安田氏はこれまで、自らが創業したドン・キホーテのことを、「自分の家族同様、いや、ある意味それ以上に愛する存在」と言ってはばからなかった。その「わが子ドン・キホーテ」(安田氏)は、どのようにして生まれ、育ち、成長したのだろうか。ドン・キホーテの歴史は、安田氏自身の波瀾万丈な生きざまが見事に投影されている。

1973年に慶應義塾大学法学部を卒業した安田氏は、有名企業には目もくれず、あえて(大卒でなくても)誰でも入れる小さな不動産会社に就職した。  

「そこでのし上がり、早期に独立するチャンスを掴もうとしたから」(安田氏)である。実際、入社数カ月で、安田氏は早くもトップセールスを記録して頭角を現す。しかし入社後1年を経ずして、その会社はオイルショックのあおりであえなく倒産。当初の読みははずれ、以降、「長いプー太郎時代」(安田氏)を過ごすことになった。》