政情が安定していてクリーンな政府の国がいいだろうと、シンガポールへの進出を決めた

日本の工場に
負けない生産技術

日本と同じ最新鋭の設備が並ぶシマノシンガポールの工場。中央はシマノテクノロジーの中核をなす冷間鍛造機。

シマノは製造面でも早くから国際化に着手。73年、シンガポールに海外初の生産拠点を設立した。

島野氏が説明する。

「父(二代目社長の島野尚三氏)から聞いた話では、東南アジアに進出するため、あちこち見て回ったそうです。初めての慣れない海外で工場を展開するとあって、政情が安定していてクリーンな政府の国がいいだろうということで、シンガポールへの進出を決めたようです」

とはいえ、当時のシマノは従業員826人、売上高287億5200万円、規模から見れば、中堅企業だった。

「当時の業容規模からいえば生産の海外展開はまだ考えなくてもいい段階でしたが、日本はすでに人件費が高騰し始めていて、リスク分散にもなることから生産拠点の海外進出を決断しました。すでに販売の海外拠点は米国にあり、欧州にも拠点を置き始めた頃。まさに自転車の前輪と後輪と一緒で、販売だけでなく、ものづくりも国際化せないかんという判断でした。地政学的にも、東南アジアのどの地域にもさっと行ける地の利もあります。ロジスティックにしても出張に行くにしても、シンガポールを中心に動くのと日本から動くのとでは全然違いますから」

シンガポールは東南アジアの中心に位置し、空港や港湾施設もよく整備されている。加えてシンガポールはクリーンでスピーディーな行政を行う国として知られている。

とはいえ、初の海外生産拠点ということもあり、シマノのシンガポールでの展開が、初めから順風満帆だったわけではない。日本のものづくりがなかなか理解してもらえない時期もあった。「徹底的にコミュニケーションを図って乗り越えていった」という。

「トレーニングはずいぶんしましたし、日本へも人材を送り込みました。その頃、私は下関の工場長で、シンガポールから研修生を受け入れていたのです。彼らの緻密な思考は印象的でした。とても勉強熱心なんですよ。のみ込みが非常に早いし、ものづくりに対する熱意が日本人に似ているんですね」

当時シンガポールから研修に来ていた従業員が、その頃の様子を振り返る。

「日本人の管理者と技術者から機械の操作や技術を一から教わり、日本のやり方を唯一の規範として仕事を覚えました。文化や習慣の違いをほとんど意識しなかったのは、今思えば当時の日本人経営者の配慮のおかげです」

このようにして築いた海外生産の足がかりであるシンガポールが、シマノを世界ブランドに押し上げる大きな役割を果たした。

実際、今はシンガポール工場のレベルは「生産技術的に日本の工場に負けないレベル」に達しているという。

また、製造業で特に大切な金型についても、シンガポールと日本の両拠点だけに最新鋭の金型製造設備を導入。このためどちらの金型を使っても、「まったく同じものができる」と島野氏は胸を張る。

今やシンガポールが
海外展開の司令塔

シマノシンガポールのチア チン セン社長。2014年に社長に就任し、シマノ本社の取締役にも選任された。

日本企業の海外工場といえば、通常は日本から社員が現地に赴き、立地の選定から人材教育、オペレーションまで担う。だが、シマノの場合、メキメキと力をつけたシマノシンガポールが司令塔になっているという。

例えば、中国では92年に江蘇省昆山工場を設立したが、立ち上げ時からシマノシンガポール主導で進められ、現地従業員の研修もシマノシンガポールが実施しているという。シンガポールは地の利もさることながら、コミュニケーション上の優位性もある。

「シンガポール人は英語に堪能で、多くの人は中国語も話せるので、中国工場設立でも現地スタッフとのコミュニケーションがとてもスムーズで、文化的な知識もある。これは日々のオペレーションで非常に大事です」

こうしたシンガポールのマネジメント力に対する本社の評価は高い。シマノシンガポールのチア チン セン社長は、本社では唯一の外国人取締役である。それだけ信頼を置いている証拠だ。

「2000年ごろには技術やノウハウの蓄積がずいぶん進み、今やシンガポールは当社の海外工場展開のヘッドクオーターになっていて、海外工場設立の際には技術者も経営幹部もシンガポールから出しています」

日本からではなく東南アジアの先進拠点から海外に技術を移転させる方法は、日本企業の中でシマノがいち早く実現した。

「シンガポールで技術を飛躍させながら世界中の工場に展開させていくパイロットプラント的な役割もあります。また、開発機能もデザイン機能もあり、海外工場のオペレーション機能を十分に持たせていますから、今後はその機能をいかに高めていくかがポイントですね」と島野氏。

2001年にチェコ工場を設立した際も、シマノシンガポールが主導。初代工場長にはシンガポール人が就任したが、そのときどきで最適な人材を配置した結果だと島野氏は言う。

「現在、別の中国工場である天津工場はシンガポール人が工場長で、昆山工場は日本人が総経理です。いわば日本とシンガポールの“アライアンス”で海外工場のオペレーションに当たっているといえます」