科学の世界には100年に1度起こるかどうかという劇的なドラマがある。『二重螺旋(らせん)』とは、生命の遺伝を司るDNAが二重に巻いた螺旋構造をしていることを示す。この事実を世界に先駆けて弱冠25歳で発見したワトソン博士が、その経緯を赤裸々に描いた「科学者のドラマ」が本書である。

著者はこの功績によって1962年にノーベル生理学・医学賞を世界最年少で受賞した。その6年後、発見の過程をリアルに語った初版の『二重らせん』は世界中で大ベストセラーとなった。というのは、サイエンスの現場で繰り広げられた人間模様を、歯に衣を着せぬ表現で大胆に開示したからだ。

たとえば、宿敵のライナス・ポーリング教授との生き馬の目を抜く競争が臨場感をもって描かれる。「ライナスがふたたびDNAの構造にかかりきりになるまで、われわれに与えられた時間は長くて6週間だった」(261ページ)。科学の世界では、最初の発見者以外はすべて負け組になる運命にある。

初版『二重らせん』は世界中の読者の心を鷲づかみにした。本書は、その後に見つかった数多くの書簡とともに、編者が詳細な注と豊富な写真を加えた「完全版」である。二重螺旋の発見から半世紀以上が過ぎた現在、ゲノム解析からiPS細胞の研究まで、世界中が生命の本質を追いかけている。

学問には旬(しゅん)というものがあるが、その端緒を与えたのが紛れもなくワトソンたちの仕事なのだ。ここから分子生物学という新しい学問が誕生し、それまで複雑で混沌と見なされていた生きものが、予測と制御が効く「物質」へと大変身を遂げた。その結果、生物学は神の領域にまで手を出すと同時に、ビジネスと倫理判断の対象にもなった。

かつて評者はロンドンの科学博物館に、ワトソンたちが作成した二重螺旋の模型を見にいったことがある。ガラスケースの中では、ブリキ板で作られた模型が静かに輝いていた。本書に「真理は(中略)美しいだけでなくシンプルでもあるはずだ」(20ページ)と書かれている通りだった。

英国の中学生が周囲に集まり熱心に見ていたのも印象的だった。実は、評者が中学生のときに理科教師から与えられた本であり、後年、京大の講義で学生たちに毎年推薦している科学書でもある。

遺伝子治療や再生医療が大きな関心を集める現在、本書は科学と社会の関係を考えるうえでも優れた「古典」である。内容の素晴らしさに加えて、翻訳を手がけた青木薫氏の見事な日本語が最後まで一気に読ませてくれる。この「現代の名著」を多くのビジネスパーソンが繙(ひもと)き、科学者たちが目標達成のために行う合理的な思考法を学ぶとともに、世紀の発見を一緒に楽しんでいただきたいと願う。