穏やかに問い直す「本当に?」

30代半ばに、労組の役員をしたことがある。東京・八重洲にあった支店で営業をしていた後で、2年間、副委員長と副書記長を務めた。会社が国際線に進出する直前で、その客室乗務員の労働条件や待遇が、労使間の大きな論点になった。

会社側は、同業他社に合わせた案を出す。労組側は、国内線に乗務するときと同等の条件を要求し、対立した。労組の案通りにやれば、ハワイ便なら、ホノルルで4日間も「休養・待機」という勤務になる。それでは膨大な人数が必要となり、とても採算に合わず、国際線進出は挫折してしまう。だが、労組の役員である以上、当然、それを主張した。

でも、一方で、現場にも「もっと、客室乗務員と話し合えよ」と声をかけた。実は、長い間、労使とも彼女たちの話を、ちゃんと聞いてはこなかった。そこに、怒りを感じていた。各部署の「声の大きい組合員たち」に呼びかけて、現場での対話を促す。まだ「ウフフ」は出なかったころだが、この間、伊東さんが声を荒げた姿は誰もみていない。

それぞれの分野のプロと言えば、どこの会社でも同じだろうが、「経営のプロ」を育てるのが一番難しい。40代を通じて、そう思ってきた。だから、2001年4月に本社の人事部長になると、すぐにプロジェクトに着手する。いろいろな企業が始めていた「選抜型の幹部研修」を参考に、人材教育会社の助言も得て、幹部候補を養成する「ANAビジネススクール」の開設を立案した。

9月に開校した。ところが、すぐに「9.11同時多発テロ」が勃発。空の客足が急減した。さらに、日本航空と日本エアシステムの経営統合が表面化する。ライバル2社が手を組んで、大きく立ちはだかることになる。「こんなときに、大金をかけて幹部候補の養成などをしている場合か」。社内から、そんな声が強まった。だが、大橋洋治社長(現・会長)は「やろう」と一蹴する。「人材の養成こそ、企業の生命線」。そんな思いを、共有してくれた。

厳しい日々だった。無配が続き、経営陣だけでなく一般社員の給与もカットされた。だが、「チームANA」は耐え抜く。人事・勤労担当の常務だったとき、かつては激しく対立した労組とも、一体感が高まる。今春、社長就任が内定した直後にグループ企業でストが起き、「苦い歓迎」を受けたが、「チームANA」にとって一体感は不可欠。労組との対話は「ウフフ」ではいかないが、自分のスタイルは変えたくない。

今回の世界同時不況になった後、パナソニックの人から創業者・松下幸之助さんの著書をもらった。そこに「不況もまたよし」とある。何事も「できない理由」を挙げれば、いろいろと言える。だが、そのうちの1割も適切かどうか。本当は、やってできないことなど、ほとんどないのだ。強固なセクショナリズムが、それを阻害する。

幸之助さんの言葉は、東京五輪後の不況時に、全社を挙げて足元をみつめ直す機会にすべく、言われたと聞いた。「右往左往するな」「原点に帰れ」と導き、「不退転の決意でやれ」ともある。素晴らしい。自分も、いつも、全社に慢心を戒めていきたい。でも、まだ、できていない点がある。「不況もまたよし」で、もう一度、見直したい。

大橋社長時代からの夢「アジアで一番の航空会社に」は、まだ、実現していない。いろいろな指標で調べても、シンガポール航空やアシアナ航空(韓国)のサービスに、追いついていない部分がある。サービスへの評価が厳しい日本人客が多い全日空だけに、それなりのハンディがあるとしても、早く「アジアで一番」の評価を固めたい。そのために、今日も、社内からの否定的な報告には「本当に?」と問い返す。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)