小倉流との直面はさらに続く。クール宅急便が生まれた翌年から2年間、東京・日本橋で営業所長を務め、現場の楽しさを味わっていたら、91年に本社人事部の係長へ戻された。すると、社長から会長、相談役へと退いていた小倉氏が「会社の危機」を訴え、2年限定で会長に復帰。危機回避に人事制度を一新する、と宣言する。

その制度改革プロジェクトのリーダーに指名された。会長に話を聞くと、手がけたサービスが当たり続け、世間にチヤホヤされるなかで「宅急便サービスをしてあげている」との雰囲気になり、大企業病に陥っている、との分析だ。

その例に挙げたのが交通事故。事故はあってはならないが、もし起こしてしまったら、きちんと報告し、みんなで防止策を考えるべきだ。ところが、事故隠しが横行していた。上司たちが「事故は困る、自分の減点材料になる」と嫌がるので、部下が隠す。上司のほうばかりをみて仕事をする「ヒラメ社員」が、増えていた。

改革に3年かけ、95年に「360度評価制度」を導入した。上司だけでなく、縦横斜めの上下から点を付けるので、「ヒラメ」になっても意味は薄い。「もう一度、お客のほうをみて、何のために仕事をしているのかを考えよう」。そんな小倉氏の思いが、いっぱい詰まったプロジェクトだった。

この間、朝8時に人事部の若手を集め、意見交換会も重ねた。無理やり順番に発言させ、なるべく「とんでもない意見」を求めた。何か結論を出すためではなく、若手が発言しやすいテーマにして、自分で考える場を受け継いでいってほしかったからだ。

「時然後言。人不厭其言」(時あって然る後に言う。人其の言うことを厭わず)――物を言わないのではなく、言うべきときに言う。そうすれば、人はその言葉に厭とは感じないとの意味だ。『論語』にある言葉で、ただ話しまくるのではなく、相手が納得できるときに語ればいい、と説く。聞き上手から尋ね上手へと進む山内流は、この教えに通じる。