中国の場合、2つの条件はかなり揃っていると思われる。成長への願望が国民にはまだ強いようだし、また共産党政府による統治機構は社会の中の収拾機構、あるいは圧力装置としてこれまで機能してきた形跡がある。それがときに一部の人々には過大な圧力装置として機能してしまうという悲劇をはらみながら。

私は90年代の初めに、上海の大学教授から「中国はすでに資本主義あるいは市場経済の国です。ただし、共産党という一種の独占資本が支配する資本主義です」という話を聞いたことがある。ご父君が中国共産党の上級幹部という方であった。

たしかにすでに当時、中国の国債の取引が上海の裏町で行われているのを見たこともあった。今さらながら、当時の彼の発言が正しかったのではないか、と思われる。中国はとっくの昔から経済の体制は市場経済になっていたのである。ただし、政治的な統治機構が西洋的常識で考える民主主義でなかっただけである。

大阪万博に話を戻せば、この万博の3年後にオイルショックが世界を襲い、安い原油価格に支えられていた日本の重化学工業化による成長路線は頓挫し、日本は安定成長の国へと構造変化していく。つまり、日本の構造調整は外圧がさせた構造調整だった。

上海万博の後の中国経済の構造調整は、同じような外圧型になるのだろうか。低炭素化社会への要求という地球規模の外圧がそれかもしれない。しかし、中国にはまだまだ解決すべき内部矛盾もある。農業人口がその典型例である。その内部矛盾がかえって成長のエネルギーになりそうだ、と私は感じている。矛盾が社会的混乱につながらないように政府が機能し続けるという条件があるとは思うが。

それは、政府が漂流して国内の成長エネルギーをことさらに四散させている日本から見るから、隣のバラが赤く見えている、ということなのであろうか。

※すべて雑誌掲載当時