2015年7月10日(金)

見る、さわる、切る、食べる、の繰り返し。噂の目利き、「高平」の清々しい幕引き

築地、旬ばなし

dancyu 2013年7月号

文・福地享子 撮影・平野太呂

いつのことだったかしら。場内の本屋で、立ち読みがてらご主人とお喋りしていたときだ。

「ネエサン、あのひと、覚えとくといいよ」と、ご主人が店の前を通り過ぎた長靴の男を指さした。

「なにしろさ、タイのシッポ見ただけで、産地がわかるんだって。すごい魚の目利きだって噂だよ」

「高平」のご主人よ、あのひと。いい店よね、あそこ……。高平は、店に活魚を泳がす水槽を置いた小さな仲卸。規模は小さいが客筋のいいことで知られ、店にはいつも爽やかな緊張感があった。そんな様子に、私は憧れていたのだった。

その高平が、2013年4月に店を閉じた。経営に行き詰まったわけではない。ご主人の大塚信雄さんに、あの噂の目利きに、ドクターストップがかかったのだ。

高平最終日。1ヵ月前は淋しい表情を隠すことのなかった大塚さんだが、この日は吹っ切れた清々しい顔をしていた。

私は、聞いておきたいことがあった。あの噂、魚のシッポを見ただけで産地がわかるってホントなのかと。

大塚さんは大笑いした。そんなことできるはずないと。

「見る、さわる、切る、食べる。このくり返しだけですよ」この言葉にホッとした。もしも大塚さんがしたり顔で、どこそこの産地の魚は、とでも言いだしたらガッカリしただろう。

朝の活魚のセリ場での大塚さんの険しい表情を、私は知っている。水槽に手をつっこみ、魚を手のひらにのせて吟味するときの、あの眼差しを。店で、せり落とした魚をおろすときの、真剣な顔つきも。目利きに超能力なんて必要ない。あるとすれば、誠実に、日々、魚と向き合うこと。それだけ。

別れぎわに握手した大塚さんの手のひらは、やすりのようだった。26歳で店を持って40年。くる日もくる日も、見る、さわる、切る、食べる、それをくり返してきた手だった。

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福地 享子

かつて女性誌の編集者、その後、築地の鮮魚仲卸「濱長」の看板ネエサンとして大活躍。現在は築地の書庫「銀鱗文庫」役員。ここを拠点に、築地を走り回っている。