ある地域では当たり前のことが、よその地域では新鮮に映る。「予防は治療に勝る」を実践する長野人の暮らしぶりとは──。

※第1回はこちら(http://president.jp/articles/-/15634)

「予防」を徹底すれば医者はいらなくなる

若月俊一医師は「農村医療の父」と呼ばれた外科医である。1945年に南佐久郡臼田町(現・佐久市)の佐久総合病院に赴任した若月医師は、「農民とともに」というスローガンを掲げ、看護師や保健師とともに村々を訪ね、あぜ道で血圧を測り、健康相談に応じた。八千穂村(現・佐久穂町)では現在の健康診断のモデルになった集団健診を実施した。また、冬の寒さ対策で家のなかの一部屋は暖房を絶やさない「一部屋温室運動」を呼びかけるなど、農山村の生活改善の啓蒙も行った。

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「農村医療の父」 若月俊一医師の言葉(写真提供=佐久総合病院)

予防は治療に勝る――。

その信念を体現したのが、公衆衛生や健康をテーマにした演劇である。地域の公民館や集会所の舞台に立ったのは、医師や病院職員たちだった。娯楽を通し、住民たちに健康の知識や意識を述べ伝えていったのだ。

若月医師は著書『村で病気とたたかう』(岩波新書)で自身が手がけた演劇の脚本を紹介している。盲腸が破れてから10日も経った患者が無医村から運ばれてきた。手術は成功したが、看護師のミスで患者は肺炎を起こして亡くなる。劇のクライマックスで看護師が<わたし保健婦になって、無医村に行って、盲腸や、ほかの病気を見つけるために、予防の医学をするために働きたいと思います>と訴える。

看護師のセリフに医師が応える。<それがなくては本当の農村医療など確立できやしない。盲腸を切る医者だけじゃだめなんだ。盲腸を早く発見し、できるなら病気をあらかじめ防ぐような組織が、どの町や村にもできるようにならなくちゃだめなんだ……>

「こうした若月先生たちの健康教育が住民の生活習慣を見直すきっかけになり、結果的に県民の医療費が下がっていったんです」

長野市信州新町に立つJA長野厚生連新町病院の当直室で、内科医の色平哲郎さんは「でも」と笑った。

「『予防は治療に勝る』と若月先生がいったとき、困った医者は大勢いたと思いますよ。だって予防を徹底すれば、医者の仕事がなくなるわけですから」

色平さんが勤務する佐久総合病院も、この日当直する新町病院もJAが運営する病院である。オーナーは農民たち。みな「オラが病院」という意識を持つ。

「普通の病院なら患者さんが増えれば増えるほどお金が入るわけです。予防に力を入れて患者さんが減れば、医療機関として成り立たなくなってしまうかもしれません。でも、ぼくらは農協に雇われているわけです。我々は、ボスであり、利用者でもある農民のニーズを尊重しなければなりません」